中村古峡
北一輝・北昤吉兄弟と、古屋鉄石の催眠術の試験台だった行者永福なる人物とは親しかったようだ。稲邊小二郎『一輝と昤吉 北兄弟の相剋』(新潟日報事業社、2002年6月)によると、 また昤吉の記録にも次のように書いてある。 「兄がどうして霊的人物になった…
泉鏡花の年譜*1の昭和3年8月の欄に、 二十九日付「東京朝日新聞」の「ラヂオ」欄に、午後七時二十五分から「柳田国男、泉鏡花、喜多村緑郎、中村古峡」出演の「霊怪談話会」の番組予定が載った(柳田、喜多村の出演は確かながら、鏡花の出演は未確定)。 と…
松村介石が主宰した雑誌『道』と『道話』の総目次(作成:刈田徹、平井誠二)を見てたら、中村古峡の著作が出てた。曾根博義先生のリストにないので、一応記録しておかう。 『道』・・・「神憑とは何ぞ」(137号、大正8年9月) 『道話』・・・「迷信を排す」…
吉野作造の日記に出てくる中村古峡(本名・蓊)については、一昨年9月4日、昨年9月21日にも紹介したけれど、まだあった。 大正8年8月28日 朝滝精一君夫人の葬式に列スベク築地ニユク 帰りニ荒井ヲ見舞ヒ又品川御殿山の中村蓊君ヲ訪フ 中村はこの前月に『変態…
『昭和三年版評論随筆家名鑑』(評論随筆家協会、昭和3年4月)中の「評論・[ママ]随筆家協会記録」によると、同会は大正15年初冬発起人会を開催。発起人は、次のとおり。 長谷川如是閑、長谷川天溪、馬場孤蝶、西村眞次、本間久雄、戸川秋骨、大槻憲二、河野…
啄木の日記にも中村蓊(古峡)が出てきた。 明治42年3月9日 社で中村蓊といふ人と話した。生田森田辻村君らの友人で文学士、予は忘れてゐたが以前二三度逢つたことのある人だ。案外知らぬところに知つた人がゐるものだ。 「社」は朝日新聞社のことで、「生田…
中村古峡、本名蓊が跡見花蹊の日記に出てきた。 大正2年4月30日 来客、台湾小畑照世其母と、中村蓊と結婚して其婿と来る。 年譜(曾根博義編)によると、中村はこの月の18日に照世(明治28年生)と結婚、入籍している。 新婚さんの中村夫妻が挨拶に来たのだ…
今年は、漱石が朝日新聞に入社してちょうど百年ということで、江戸東京博物館で「文豪・夏目漱石−そのこころとまなざし−」展も開催しているところ。 『村山龍平伝』によると、漱石入社後に、 明治40年7月 白仁三郎(坂元雪鳥)、生方敏郎、西村真次(酔夢)…
『彷書月刊』1986年6・7月号の「『婦人文芸』総目次(2)」「同(3)」によると、中村の「狂人の手記」「同」「同<三>」「同<四>」が、『婦人文芸』の14号(1915年9月)、15号(同年10月)、16号(同年12月)、18号(1916年3月)に、「尊[ママ]長の家−…
吉野作造の日記*1に中村古峡が登場。吉野が、中村の創設した日本精神医学会の賛助員だった関係か。 大正13年7月1日 昼頃学校に行く 昼飯は食はず中村古峡君と食堂に遇ふ約束を朝電話でしたのを頓と忘れる 一時頃食堂から帰った平野君に注意されて駆けゆく 別…
ほっておいた、菅野聡美『<変態>の時代』(講談社現代新書、2005年11月)を遅ればせながら読んだ。 ここで自己紹介させていただきますと、私は日本政治思想史を専門とする大学教員です。政治と恋愛?と不思議に思われるでしょうね。事実、この分野で恋愛を…
『秋田雨雀日記』第1巻には、変態心理の中村古峡の名前も登場する。 大正7年3月20日 本郷生田長江君の家で初心会。沖野氏が談話をした。生田、中村古峡、野村愛生、坂田、須藤、武田、福田、橋浦、涌島の諸君。 日記中に中村古峡を見つけたのは三度目(昨年…
ついでに中村古峡ネタを。 三田村鳶魚の日記(『三田村鳶魚全集第26巻』)によると、 大正13年5月14日 北野*1氏、中村古峡氏同道、来十七日自宅談話会へ出席を求む、林*2氏へも同様との事なり、車人形のことあれば明答なりがたきよし申聞ける。 大正13年5月1…
吉野作造の日記(『吉野作造選集第14巻』所収)に、 大正11年9月13日 早朝小樽にてたまのと落ち合ひ函館に着きしは昼過なり(略)此日は図書館の岡田健蔵君の好意により古本屋をたづね五稜郭を見物す 夜は中村古峡君の講演ありといふを聴きに行く 大正11年9…
夢野久作は、長編推理小説の傑作『ドグラ・マグラ』(1930 年)で「狂人の解放治療」の理想を抱く精神医学者に焦点を当てて いる。筆者が故王丸教授から直接聴取したところによると、夢野久作 は、その精神医学的知識を父親の杉山茂丸と黒竜会の同志であ…
『丘の上サ上がつて』(中原中也記念館)中「中村古峡略伝」(曾根博義)から 『変態心理』は大正6年10月から15年10月まで足かけ 10年の間に全103冊を出した。 「変態心理」とは、常態・正態でない心理、すなわち異常心 理という意味で、当時の…