神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

 戦時下の極楽とんぼ(その1)


里見紝(さとみとん)については、全集の年譜を見ても、戦時中の動向はあまり記されていない。オタどんが見つけた事実を記録しておこう。まずは、里見と学習院初等科で同級生だった東久邇宮稔彦王の日記(『東久邇日記』)から。

昭和16年8月21日 原田熊雄に招待をうけ、午後六時奈良屋旅館に行く。原田のほか里見紝、山口富士屋ホテル主人と夕食をともにする。
原田は西園寺公の秘書時代、西園寺公の命をうけて、政界の機密情報を集めて、それを一週間分ずつ記録し、近衛秀麿子爵夫人泰子に速記せしめ、それを里見紝に文章を直してもらっていたが、この席上、里見がその一部を私に読んできかしてくれた。


  18年4月30日 私が第二軍司令官として、漢口にいた時、漢口に来た文士、画家、音楽隊、映画関係などを集めて、田中軍吉*1(予備大尉・私が近衛歩兵第三連隊長時代の連隊旗手)が主唱して、漢口会をつくったが、本日その第一回の会合があったので出席す。里見紝久米正雄西条八十大仏次郎、片岡鉄平など十四、五名が出席し、一同愉快に談笑した。


東久邇宮の年譜によると、学習院時代は里見と悪戯ばかりしていたという。里見は漢口会のメンバーのようだが、年譜には漢口に行ったことは記されていない。

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京都国立博物館では「河鍋暁斎展」開催中。メッセに「出現」する人ものぞいてみませう。

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黒岩さんが里見の署名本を発見していた。偶然だが、里見ネタでセッション。
ヨコジュンさんの『小説宝石』の連載「今月のふるほんガイド」が5月号で終了した。

*1:昨年6月23日に言及した昭和通商の田中と同一人物である。