大正10年12月に一旦ジュネーブから帰国した柳田國男の歓迎会が翌年の1月に開催されている。
一つは年譜に記載のある1月25日開催のエスぺランチストによる帰朝歓迎会である。
もう一つは、『柳田國男全集』第26巻に収録された『同人』第63号(大正11年3月15日)の「第三十五回同人小集記」に記載された「三金会と聯合の柳田國男君歓迎会」である。
後者の歓迎会については、前から気になっていた。というのも、内田魯庵、久保田米斎、尾佐竹猛、岡村千秋、折口信夫、長谷川誠也、桑木厳翼、中山太郎、松岡静雄といった名前のほかに興味深い名前がいくつかあったからである。
まず、山本英輔。海軍大将山本権兵衛の甥で、後に竹内文献の信奉者となる海軍軍人だが、これは柳田の実弟松岡も海軍軍人なのでそのつながりだろうか。なお、この当時は、竹内文献は存在しなかったか、存在していても公表されていなかったので、まだ山本がトンデモ系の人物ではなかった*1時期である。
もう一人は、増田正雄という名前である。同じ名前の人物に、反ユダヤ主義者で、その後竹内文献の信奉者となり日ユ同祖論者となった人物がいる。大塚英志氏が既に言及していることだが、柳田の『炭焼日記』によると、昭和20年1月7日に柳田に高楠順次郎の『知識民族としてのスメル族』を贈っている。この二人の増田が同一人物であるか、別人であるかは、未確認である。
そして、もう一人。この名前によって、私は安藤礼二氏を驚かすことができる。そう、世界聖典全集刊行会の代表、松宮春一郎である。
(参考)松宮は「第二回同人小集」(大正7年9月30日開催)から参加。折口はいつからか不明。『同人』の当初(大正5年6月創刊)の発行兼編輯人は大野岩三郎(大正9年7月17日没*2)だが、第63号では松宮になっているとのこと。
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「daily-sumus」が、『文献継承』10所収の書物蔵「図書館史の空白ー大東亜図書館学の復活?」について言及している。
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大谷大学博物館に行ったことがあると思っていたが、金を払った覚えがないので、博物館になる前の無料展覧会だった時期のことだろうか。1階のカウンターで資料をもらい、エレベーターで上がった気がする。