神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

酒井勝軍と玉利喜造


森鴎外の日記の大正11年2月26日の条に「午餐于九鬼隆一家」とある。阿部次郎の日記を見てたら、この時、面白いことが九鬼家で行われていた。

大正11年2月26日 午餐によばれて九鬼行、森先生その他と同席、玉利博士の邪気霊気説をきゝ日暮上野と四谷見附まで歩いて帰る、夜森先生のギヨオテ伝後半通読。


いやはや、玉利先生の邪気霊気説のお話があったのだ。ところで、この九鬼家での集まりには、酒井勝軍も参加したことがあったらしい。『神秘之日本』第34号(昭和14年7月)に玉利博士の遺稿として、「日本人とマヤ人との関係」が掲載されており、酒井の解説によると、

左の一篇は近頃文庫の中から発見された故玉利喜造博士の遺稿とも見るべきものであるが、博士は農学界の大権威ではあったが、亦考古学に一見識を有し、昭和の初め、殆んど毎月一回位、枢密院顧問官九鬼隆一男邸で、当時貴族院議員であつた博士と、又一戸兵衛大将を加へ、小生も之に参列して都合四人で世界問題の研究で食卓を賑はして居つたのであつた。そして其頃博士は此一篇を小生に寄せられたのであつた(略)


一戸兵衛(安政2年6月-昭和6年9月)は、大正9年5月〜11年11月学習院長、13年8月〜昭和6年9月明治神宮宮司
農学者玉利博士の邪気霊気説って、あまりオカルティックな要素はなさそうと思っていたが、人脈にはトンデモない人も混じっていたか。

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某書にて、国際政経学会常務理事としての増田正雄の住所が「麻布区新堀町六」と確認できました。