神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

中山太郎の後援者


森洋介氏が中山太郎の名前を出してきたので、隠し球を投入しちゃう。
中山太郎『校註諸國風俗問状答』(パルトス社、平成元年11月)所収の中島河太郎中山太郎伝」*1によると、

大正十五年、早稲田大学校友の関係から永楽クラブの会員になったが、その中で長谷川天渓、松宮泰[ママ]一郎、増田正雄を中心に、中山の後援会が設立され、その研究を援助することになった。
「同人」は中山の電報新聞社時代の同僚大野若三郎が資金を投じて発刊した同人雑誌で、大正五年六月に創刊された。寄稿だけではものたらず、同人小集会の第一回が七年七月から催され、柳田や中山も参会した。(略)大野の死後、松宮春一郎が発起人となり、雑誌も「明るい家」と改題した。昭和八年に松宮の死後、中山が同人会世話役と編集長を兼ね、少くとも十五年まで続刊している。


ここでも増田の名前が出てくる。松宮とともに益々気になる人物である。
なお、松宮の訃報は東京朝日新聞昭和8年6月20日に掲載されている。享年59。死亡時の肩書きは意外なものとなっている。

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岡崎武志氏の「okatakeの日記」によると、なき書肆アクセスの元店長、畠中理恵子さんが東京堂書店で働いておられるとのこと。早速、のぞきに行ってみようかすら。

*1:元版は東洋堂、昭和17年10月