神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

「桃太郎の誕生」の誕生


大槻憲二によると、柳田國男の「桃太郎の誕生」は大槻が纏(まと)めたものであるという。
大槻の「民俗文化の精神分析」(『精神分析』第30巻第4号、昭和47年10月)*1によると、

(略)私もまだ若かった頃に柳田先生に師事したこともあったが、私が民俗学に興味を持ったのは精神分析学を通じてであって、従って私は同先生が「手をつけないで残した空白の部分に取組む姿勢を見せ」たから、先生は私をあまり歓迎しなくなったらしい。私の方でも先生の学問態度にあまり興味を持たなくなって、いつとはなしに関係は疎遠になってしまった。しかし、先生著『桃太郎の誕生』(新潮社)の原稿を纏めてあげたのは私であった。先生からは菅江真澄著『来目路の橋』(柳田國男監修)の翻刻本を寄贈せられて、それは今も私の手許に残っている。


という。また、大槻の年譜には、昭和5年の欄に「この頃、『桃太郎の誕生』をまとめ、柳田國男に献ず」とある。


「桃太郎の誕生」などを収録した『桃太郎の誕生』は、昭和8年1月三省堂から刊行。大槻は「新潮社」と言っているから、「桃太郎の誕生」の関係論文「桃太郎根原記」が『文学時代』第2巻第5号(新潮社、昭和5年5月)掲載なので、むしろこちらの方だろうか。


同論文についての『柳田國男全集』第28巻の解題によると、

「桃太郎根原記」は五月一日発行の『文学時代』第二巻第五号に掲載された。発行所は新潮社で、編輯兼発行者は佐藤義亮であった。(略)
この文章は、「定本年譜」の一月二四日に、「童話作家協会主催の桃太郎の会で「桃太郎の話の起源と発達」を講演」とあり、この時に用意したであろう講演手控をもとにまとめたのではないかと推測される。(略)
(略)
しかし、講演手控をもとに「桃太郎根原記」をまとめ、さらに「全文書き改め」て「桃太郎の誕生」にしたというのが実際だろう。むしろ、柳田が『桃太郎の誕生』刊行の時点で、「桃太郎根原記」を抹殺し、講演にまで遡及させた力技を見極める必要があろう。


とされている。


大槻がいう「纏めてあげた」という意味がよくわからないが、柳田が「桃太郎根原記」を「抹殺」したのは、自分で纏めたものではなかったためだろうか。


(参考)書誌鳥さんによると、今年、大槻主宰の『精神分析』誌が不二出版から複刻予定とのこと。
大槻の『民俗文化の精神分析』については、小田光雄「古本屋散策(21)フロイトの邦訳と大槻憲二」(『日本古書通信、2003年12月号)も参照。

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佐藤センセは『ダ・ヴィンチ』でも連載を始めたようです。
ちょっと古いですが、こんなまとめもありました。「http://purple.ap.teacup.com/auparavant/79.html

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有川浩図書館戦争は完結したと思ったら、『別冊図書館戦争�』が出てた。
高月靖『南極1号伝説』(バジリコ)なる本も出てた。差しさわりがあるので内容には言及しない(笑

*1:『民俗文化の精神分析』(堺屋図書、昭和59年10月)