神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

漢口会の田中軍吉


里見紝らがメンバーだった漢口会を主唱した田中軍吉は、ある事によって有名な人だった。
『日本陸海軍総合事典 第2版』によると、

田中軍吉 明治38・3・19〜昭和23・1・28 


大正14年7月 陸士卒
    10月 少尉・近歩3連隊付
昭和3年10月 中尉
  6年 3月 東京外語(露)了・ハルビン留学
  9年 3月 大尉
9年 4月 近歩3連隊付
  10年 6月 同連隊中隊長
  11年 8月 予備役(昭和神聖会事件)
  12年   東宝国際映画企画製作部長
  12年 8月 召集・歩45連隊中隊長
  14年 7月 第2師団司付
  15年 9月 召集解除復員
  15年12月 少佐、外務省嘱託 のち田中映画国策研所長、昭和通商ハノイ支店長
  20年8〜9月東久邇宮首相個人秘書


昭和神聖会事件(第二次大本事件のことか)に関与していたらしい。昭和10年竹内文献の拝観者の中に、田中軍吉という名前が見えるが、おそらくこれも同一人物だろう。
田中の最期は、同事典によると、次のとおり。

昭和22年 4月 逮捕
     5月 中国へ引渡し
    12月18日 中国軍事法廷で死刑判決
  23年 1月 「300人斬り」の戦犯として南京で刑死 


(参考)田中に関する文献としては、秦郁彦「いわゆる「百人斬り」事件の虚と実(二)」(『政経研究』第42巻第4号、平成18年2月)がある。