神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

 宮澤賢治と霊術家佐々木電眼


宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』の初稿にあったテレパシー実験の記述が削除されたことは、よく知られているところである。賢治に催眠術を教えたかもしれない人物が、盛岡中学校寄宿舎付近で霊磁療法院を開設していた佐々木電眼である。賢治の大正元年11月3日付け(推定)父政次郎宛書簡には、

又今夜佐々木電眼氏をとひ明日より一円を出して静座法指導の約束を得て帰り申し候 佐々木氏は島津[ママ]大等師あたりとも交際致しずいぶん確実なる人物にて候。


また、11月4日付け書簡では、

昨日の手紙の通り本日電眼氏の指導の下に静座仕り候ところ四十分にして全身の筋肉の自動的活動を来たし今後二ヶ月もたゝば充分卒業冬休みに御指導申す決して難事ならずと存じ候

とある。


そして、冬休みに電眼を連れて、父親らに紹介したことについては、宮澤清六「十一月三日の手紙」(『四次元』第200号、昭和43年1月)によると、

賢治は前の手紙とこの葉書にも書いたようにこの佐々木氏の指導で静座法を何ケ月か習った。そして冬休みにこの人を連れて帰ったが、父や姉にも静座法をすすめたことを私は思い出すのである。
電眼の暗示に誘導されて、姉のとしは見るまに催眠状態になったが、父は電眼が長い時間汗を流して懸命に努力したのであったが、いつまで経っても平気で笑っていたので、遂に電眼はあきらめて、雑煮餅を十数杯平らげて、山猫博士のように退散したのであった。


明治末から大正にかけての地方の霊術家なので、電眼についての詳細は不明だが、栗原敦「宮沢賢治周辺資料(その2)−「岩手日報」「岩手毎日新聞」記事による−」(『実践女子大学文学部紀要』第27集、昭和60年3月)によると、大正元年10月6日の『岩手毎日新聞』には、『岡田式静座[ママ]法』を読んだことや、青森の静座[ママ]法研究会に参加したことなどが、また、11月3日の『岩手日報』には、霊磁式静座法研究会、霊磁療法院を開設した旨の広告が掲載されている。


生没年など不明な謎の霊術家だが、島地大等(シマジ,ダイトウ )との関係や、賢治に与えた影響など、興味深い人物である。


(参考)『新校本宮沢賢治全集』第15巻 書簡 校異篇、第16巻 下 補遺・資料 年譜篇

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昨日の朝日新聞の「100アンサーズ」にも黒岩さんの名前が出てますた。