神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!? 弥吉光長・吉村貞司兄弟


図書館界のビッグネーム、弥吉光長ネタがとうとうキターだす。
あるジャーナリストの日記に、弟で文芸評論家の弥吉三光(かずみつ。吉村貞司)とともに登場するのである。


昭和6年5月15日 午前、彌吉三光氏*1来訪。


昭和6年7月12日 彌吉*2氏午後来訪。三光氏*3の件で相談。


昭和6年11月4日 午前、彌吉三光氏来る。「犯罪科学」社に入社、外交係となったと語る。


昭和12年3月14日 彌吉三光[ママ]君、その著に係る『内田嘉吉氏稀覯本の目録』を持参して来訪。ユックリ話して行く。


昭和12年10月12日 午前、彌吉光長氏が見えて「丸善」に就職した事を語る。


昭和12年10月の「丸善」への就職というのは、『彌吉光長著作集』の年譜によれば、同年4月の「丸善株式会社社史編纂の資料収集を受託」のことかと思われる。


また、『内田嘉吉氏稀覯本の目録』とは、正しくは『内田嘉吉文庫稀覯書集覧』(昭和12年2月)のことと思われる。
彌吉光長は、昭和9年4月に故内田嘉吉氏記念事業委員会嘱託になっているので、昭和12年3月14日の記述は弟の三光ではなく、兄の光長の間違いではないかと思われるものの、同書を未見のため、断定はできない。


この日記は、『新聞人 坂口二郎<昭和編>』(草文書林、平成7年4月)でした。
坂口は、大正13年7月〜15年3月万朝報編集局長、大正15年8月から昭和11年まで福岡日日新聞在京客員(論説担当)、引き続き同社顧問となったジャーナリスト。
たいした弥吉光長ネタでなくて失礼しました。

*1:原注:吉村貞司

*2:原注:光長

*3:原注:弟の吉村貞司