神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

北京近代科学図書館長山室三良


岡村敬二氏によれば、国際文化振興会の北京駐在員でもあった、北京近代科学図書館長山室三良。
さすがの日記好きのオタさんでも、日記には登場しないだろうって?
見つけたのだ!
東京美術学校長(明治34年8月〜昭和7年3月)であった正木直彦(文久2年−昭和15年)の日記(『十三松堂日記』第4巻)昭和13年8月27日の条によれば、


次て近世[ママ]科学図書館長山室三郎[ママ]氏来訪 種々懇談 同氏は九州大学出身にて後北京精[ママ]華大学に入り二年間在学し対支文化事業の人として前朝[ママ]の図書館長となり支那の学生を指導し居れり 近ころ国際文化振興会北京出張所連絡員も兼ねたり 山室子か正式に支那大学卒業生の唯一人者也 温良聡明の人の如し


山室は『昭和人名辞典』第4巻*1によれば、


国際文化振興会北京委員、北京近代科学図書館
明治38年1月長野県生まれ、昭和9年九大法文学部卒、同学副手を経て外務省留学生拝命
北京精華大学に研究、同十一年現職


山室の経歴については、阿部洋『「対支文化事業」の研究』(汲古書院昭和16年1月)728・729頁に詳しい。それによると、戦後の経歴は、昭和23年より九州大学文学部助教授、後教授となり、中国哲学史の講義担当。昭和43年定年退官後は福岡大学東海大学などの教授を歴任。平成9年没。


国際文化振興会は、既に述べたように、石田幹之助(元東洋文庫主事)や大藤時彦(元大橋図書館司書)も在職した団体だし、まだまだ埋もれた事実があるかもしれない。

*1:日本図書センター、1987年10月。底本は『大衆人事録第14版』(帝国秘密探偵社、昭和18年