神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

続・柳田國男の幻の妻 −木越安綱夫人貞−


10月10日言及した柳田國男の幻の妻に関する手紙について、森洋介氏からコメントをいただき、手紙の謎が多分解決した。「多分」というのは、若干疑問がなくもないから。
過去の日記のコメント欄なので、奇特な人しか見ていないと思われるので、ここに掲げると、


森 洋介 『この書翰の話、どこかで讀んだ憶えがありながら思ひ出せなかったのですが、胡桃沢友男「柳田國男と信州(一)―最初の信州旅行―」(初出『信濃』一九七八年一月號→『柳田國男と信州』岩田書院、二〇〇四年)でした。書翰筆寫全文が載ってゐます。三村竹清が原筆者柳田の名を伏せて「旅の文反古」と題する舊紀行文として『旅と傳説』一九三〇年九月號に寄稿しようとしたところ、柳田に拒否され、祕かに謄寫が胡桃澤勘内によって配布されてゐたのだとか。但し胡桃澤友男の論文では、「姉上様」は「あによめ」と柳田が談ったらしいが誰だか判らず、柳田が思慕してゐた長兄松岡鼎の先妻かどうか、と疑問の儘に殘してゐます。これに三村竹清日記を參照して貞だと同定したものはまだ無いことでせう。今後出る柳田國男年譜に反映されますやうに。』


早速、胡桃沢友男『柳田國男と信州』(岩田書院、2004年5月)中「最初の信州旅行」の「姉上様に宛てた旅の便り」を見る。同書に掲げられた、三村竹清が「或る人の持てる文反故」という書簡の文中には、「木越か最愛なる貞子」とは書かれておらず、単に「姉上様」とあるだけなので、三村竹清の日記中の手紙*1と同一のものか疑問は残るが、別物としても、内田魯庵が柳田から同時期に入手した手紙と解することができるかもしれない。柳田は、27歳(明治34年に当たる)の初めての信州旅行時に「あによめ」に送ったもので、どこから見つけたと不思議がり、活字にすることを拒否したという。自分が内田魯庵に売ったことを忘れていたか、とぼけていたのだろうか。


また、同書では、岩本由輝教授や著者の友男は、「姉上」について、柳田の養父直平の長女順か、次女貞、中でも順の可能性が大きいとしているが、三村竹清の日記により、貞の方の可能性が高いことになった。
残念ながら、著者の友男は2000年に亡くなられているので、この事実を知ることはできない。残念。


それにしても、この岩田書院の第1刷、400部の本を読んでいた森洋介氏。「おぬし、何者!?」(笑)と思ったら、南陀楼綾繁『路上派遊書日記』(右文書院)の注に出てた。恐るべしは、森氏と『路上派遊書日記』。

*1:三村は日記に「貞子宛てかミ」と記しているので、手紙でなく、封筒に貞子と書いてあった場合の議論である。