神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

新聞学の小野秀雄に関する噂


戦後、東大新聞研究所所長、日本新聞学会会長を務めた小野秀雄
ベストセラー『旋風二十年』の著者、森正蔵の日記*1に彼に関する噂が記されている。


昭和21年9月6日 「東京日日」のための新聞用紙配給が否決されたことについては、まだいろいろ折衝が続いてゐる。普通ならばこの度の委員が次に選ばれる委員に「東京日日」のために配給するやう努力されたいと申送るよりほかに方法がないのであるが、委員長の小野秀雄といふのが貪欲な男で、彼にまいないを使ふことは効果があるといふのである。そんなことをやつてよいか悪いか賛否両論あり、僕は不賛成である。


小野秀雄年譜」によれば、小野は当時、商工省新聞及出版用紙割当委員会委員長。


「俺に関する噂」(知ってる?)、じゃないや、「オノに関する噂」だね。
小野秀雄の名前は、柳田國男森鴎外の日記でも見ることができる。


鴎外の日記*2明治45年6月20日の条には「小野秀雄始て来見す。」とある。
この小野はまず、新聞学の小野と見てよいだろう。


柳田國男の『炭焼日記』昭和20年12月21日の条には、


海老名に住む小野秀雄といふは、昔官舎に来て居たてつ女の家なり。一昨日新宿にて名のりあひ、けふ孝三穂とともに醤油などをもらひに行く。


とあるが、これは、同姓同名の別人かも知れない。


また、峯島正行『評伝・SFの先駆者 今日泊亜蘭』によれば、


後に東大新聞研究所を作り、その所長になった小野秀雄、その妻になったオペラ歌手の小野千代子なども、水島家に出入りした。小野夫妻を媒酌したのは、爾保布夫妻だった。


という。



追記:明日、大阪へ来る人がいたら、毎週金曜日はノーマイカーフリーチケット(600円)で市営地下鉄(ニュートラム、市バスも)が乗り放題なので、あちこち行くなら買ったほうがいいかもよ。でも、雨だすね。

*1:『あるジャーナリストの敗戦日記』(ゆまに書房、平成17年8月)

*2:『鴎外全集』第35巻