神保町系オタオタ日記

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黎明期の日比谷図書館(その1)


黎明期の日比谷図書館が登場する日記を見てみよう。
まずは、正木直彦(東京美術学校長)の日記(『十三松堂日記』第1巻)から。


明治41年2月7日 午後東京市役所内に開会の日比谷図書館評議員会に出席す 此評議員肥塚龍 林謙三 中鉢美明 稲茂登三郎 坪谷善四郎の市会議員の外に和田萬吉 田中稲城 市島謙吉 高楠順次郎の諸氏及余となり 伊東平蔵 渡邊又次郎の二子管理者となる筈なり けふは図書館規則を議定せり


佐藤政孝『東京の近代図書館史』(新風舎、1998年10月)によれば、


伊東平蔵は、
大橋図書館の主事として開館時の基礎を築いた後、東京市の懇請を受けて、明治39年9月以来、主事に嘱託され、開設準備を担当。


渡辺又次郎は、
伊東平蔵の後を受けて、明治40年に開設準備担当の主事に任ぜられ、41年の3月31日付けで正式に日比谷図書館主事(館長)に発令。


伊東平蔵には、別の日記でも出会えた。