神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

明治四十四年銀座のカフェーに先陣争い(その1)


明治44年銀座に相次いで、オープンしたカフェー、プランタン、ライオン、パウリスタ。当時の日記が残る森鴎外小泉信三の日記を使って、どちらが先に入店したか調べてみた。


1 初戦はカフェープランタン


鴎外*1は、


明治44年5月20日 亀井伯夫人洋行の途に上らせ給ふ。送りて新橋にゆく。帰路始てCafé Printempsに立ち寄る。


小泉信三*2は、


明治44年5月19日 イプセンの講義が済んだ後で図書館に行くと、塾監局の前に小山内[薫]さんが立っていて「この間はどうも難有う御座いました」とカフェープランタン*3連に馳せ参じた礼を云われた。


明治44年6月1日 カフェープランタンで飯を食っていると永井[荷風]さんがやって来られた。


小泉が6月1日より前にプランタンへ行ったのかはっきりしないが、6月1日が最初とすると鴎外の勝ちである。林哲夫『喫茶店の時代』(編集工房ノア、2002年2月)によれば、小山内・森ともに、プランタン創立時の維持会員である。小泉も関係していたみたいだね。

*1:『鴎外全集』第35巻(岩波書店、昭和50年1月)

*2:『青年小泉信三の日記』(慶應義塾大学出版会、2001年11月)

*3:原注:この年(明治四十四年)は東京に「カフェー」が現れた年である。その第一号が、京橋区日吉町(現銀座八丁目)に三月開業したカフェープランタンだった。この店は画家の松山省三が経営したので、画家や演劇、文学を志す若者の溜まり場になった。