神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

柳田國男の幻の妻 −木越安綱夫人貞−


三村竹清の日記(『演劇研究』掲載)については、山口昌男内田魯庵山脈』で言及されているところである。その三村の日記には、榊原芳野についての詳細な記述があるほか、柳田國男についての瞠目すべき記述*1がある。


大正7年9月21日 此間柳田にて買ひし 木越安綱夫人貞子宛てかミの事を 内田君にとひしに 柳田氏養父は直平とて 法官也 初め此貞子柳田國男氏之妻たるへき処 嫌はれし故 妹を妻としたる也 此貞子ハ三宅花圃さんと同期之女学生にて 色は白けれと花王石鹸と字さるゝ ひたゐとあこか出はり居る也 妙な女にて石橋忍月といふハどんな人そと聞く なぜかといへば あの人之かいたものを見ると どうも仙台まぐろを連想されるから きつと仙台鮪に似た人かと思ふなとゝいひたり 柳田氏之細君は美しい方にて柔順なれハ 柳田ハ却て仕合だよ かゝる為に婚期を失して 木越之後妻にゆきたる也 木越か最愛なる貞子とかいてあるつて なぜそんなものが出たらう


文脈から言うと、木越安綱の貞宛書簡を、柳田が内田君(内田魯庵)に売ったということになろうが、ほんと「なぜそんなものが出たらう」と言いたくなる。柳田は、どうやって入手し、なぜ他人に売却したのか。


貞が木越と結婚したのは、明治29年。この前に、柳田との間に縁談の話があったということになる。柳田は明治26年第一高等中学校入学、30年7月第一高等学校卒業。在学中に縁談の話があったのであろう(ちなみに、明治29年7月母没、9月父没)。
柳田は、明治34年5月柳田家に養嗣子入籍。美しく柔順な妹の孝と結婚することになる。
「仙台鮪」の姉、貞と結婚しなくてよかったどうかは、誰にもわからない。


ところで、仙台鮪を連想させる石橋忍月の文章って、どんな文章だ?


追記:木越夫人貞は、柳田國男『炭焼日記』に登場する。

昭和20年11月8日 木越姉君来たまふ。一泊。先日為正等と同じ日に黒羽よりかへり、今大沢と同居すといふ。


    同月9日 夜掘三人来訪、木越刀自マージャンの会なり。


    同月10日 木越刀自二泊してかへりたまふ。


なんと、「仙台鮪」夫人は、マージャンを嗜んだようである。



追記:三村竹清の日記の冒頭に出てくる「柳田」というのは、「新宿南裏大宗寺よこ町なる古董柳田」(大正7年9月3日の条)であった。また、引用した部分の後に「安東といふはやはり大将也 此老夫人ハ柳田家一族中ニ最も権威ある人也 云々」と続いている。斜め読みするのはいいが、前後関係をきちんと押さえないといかんね。

*1:『演劇研究』第24号、平成13年3月