神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

明治四十四年銀座のカフェーに先陣争い(その3)


3 決戦!カフェーパウリスタ


ここまで1勝1敗の両者の戦い。いよいよカフェーパウリスタで決戦。


鴎外は、


大正6年3月24日 與類往銀座。Café Paulistaに立ち寄る。


小泉は、


明治45年1月19日 阿部、久保田の二人と小山内さんの時間が済んだあと、はじめてカフェーパウリスタという家へ*1行って見た。濃い強い珈琲だ。何だか恐ろしいような気がする。とにかくプランタンやライオンよりも甘い珈琲を飲ませる。


鴎外は、パウリスターについては、「始て」と記していないが、同店は明治44年の年末に開店したという*2から、翌年1月に来店している小泉の勝ちとしても大丈夫だろう。これで、2勝1敗で小泉の勝利。


ちなみに、鴎外の日記には、他のカフェーとして、大正3年11月12日の条に「類を伴ひてWiener Cafe*3に往く。」とある。残念ながら、日記上は茉莉はカフェーに連れていってもらった形跡はない。

*1:原注:明治四十四年三月開業のカフェープランタン、八月のカフェーライオンに続いて、十一月にカフェーパウリスタが開店した。洋風料理と洋酒が売り物のプランタンに対して、パウリスタは本格的なブラジル・コーヒーを飲ませる店だった。一方ライオンは美人女給によるもてなしで人気を集めた。

*2:『喫茶店の時代』によれば、11月と12月の2説あるようだ。

*3:寺田寅彦の日記(『寺田寅彦全集』第20巻(岩波書店、1998年9月)大正7年4月25日の条に「四時頃より築地精養軒なる夏目松岡両家婚儀披露会に出席す(中略)帰途小宮鈴木安倍野上津田和辻岩波とヰ゛ェナカフェーに寄る」とあるカフェーと同じものかもしれない。