神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

丸山真男と水島爾保布


丸山真男については、「未来」で没後十周年特集をしていたが、とっつきにくいイメージがどうしてもつきまとう。しかし、そんな丸山にも面白いエピソードを発見した。


「如正閑さんと父と私」(『丸山眞男集』第16巻)によれば、


まず、水島爾保布。この人は画家で、『日本人』、ついで『朝日』、それから『我等』『批判』にも、確かひきつづき風刺画を描いていたと思いますけれども、(中略)。彼は『日本及日本人』とも関係があって、それで私が知った時分は、むしろ『日本及日本人』との関係です。私の伯父の井上亀六というのが(中略)政教社の社主だったわけです。三宅雪嶺(雄二郎)が媒酌をして、井上の妹と私の父が結婚したのです。(中略)
私事で恐縮ですけれども、私が結婚したときに(昭和十九年)、伯父の井上がお祝いをくれたわけですね。それが水島爾保布の描いた掛け物なのです。そういう縁があり、水島さんの名前と絵はそれ以前から雑誌で知っていましたが、直接話を交したことはありません。


という。
また、別巻の年譜によれば、大正15年4月に東京府立第一中学校に入学した丸山は、中学時代を通して、『新青年』を愛読。江戸川乱歩小酒井不木、ポー、クロフツエラリー・クイーンなどの探偵小説に親しんだという。丸山が『新青年』を愛読したと聞くと、親近感を覚えてしまうが、と言って、丸山本を読むのがしんどいことに変わりはないね。


丸山については、父親幹治の方が、面白い人物であることに気が付いた。


丸山の年譜によれば、幹治は、日露戦争の従軍記者(『日本』)として乃木希典率いる第三軍の旅順攻囲戦の悲惨な実状を報道したため前線から送還されたという。


また、「白虹事件」(自分で調べてね)で、村山龍平大阪朝日新聞社長に連袂退職したメンバーの中には、編集局長鳥居素川、社会部長長谷川如是閑、論説記者大山郁夫の他に、通信部長丸山幹治、画家水島爾保布がいるので、丸山真男の父幹治と水島には、かなり深いつながりがあるわけだ(幹治・水島は長谷川・大山らが創刊した『我等』にも協力)。