神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

 朝日新聞記者西村真次を訴えた催眠術師


森銑三の恩師であった西村真次。森の「渋川玄耳の夢想した学校」『明治人物閑話』にも登場する。

玄耳が社会部長だった頃の「朝日新聞」には、社会の各方面の問題を連載記事として取上げて、有力な記者をして取材執筆に当らせている。評判のよかったそれらの記事の題目は、『村山龍平伝』にも列挙してあるけれども、その中に、当時の催眠術師の内幕をあばいて、それが営業妨害の名のもとに、訴訟せられ、その記事の執筆記者として、後の西村真次博士が法廷に引出されたりもした、そうした事実のあったことなどは出ていない。
その西村さんは、その事件直後に朝日を退いて、雑誌『学生』の編輯主任となり、朝日との関係は絶たれたけれども、その『学生』には、さっそく玄耳にも寄稿を請うて載せている。玄耳は例の藪野椋十の別名で、「論語読み」という一流の奇文を寄せている。

西村を訴えた催眠術師だが、三村竹清の日記によると、森下幽堂だったらしい。

大正10年10月7日 林君及昆石翁来話(略)西村真次といふ 船之通をいふ先生 法螺吹にて 日本てハ己れのいふ事のわかる奴かないから 英文てかくのたといひ居るよし 此先生 朝日の記者をして催眠術者を訪問してあるき 森下幽堂辰之助と喧嘩をして 才[ママ]判沙汰にしたる男也 此節 林君へくる笹野といふ早せたワセタの書生さんの話のよし


西村が朝日を退社したのは、明治43年冨山房に入社し、同年5月創刊の『学生』の編輯主任となる。
問題の新聞記事は、ma-tango氏が紹介した明治42年11月〜12月の記事か。→「http://d.hatena.ne.jp/ma-tango/20070915

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佐々木俊尚ブログ論壇の誕生』(文春新書)巻末の著名ブロガーリストに猫猫ブログあり。本文中に出てくるかは不明。