神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

催眠術

 福来友吉夫人辰撃たれる!

福来友吉の夫人で、旧姓町田辰は、相馬黒光の『黙移』に出てくる(一昨年3月2日参照)。 結婚後の詳細は不明だが、新聞記事に登場したことがある。 昭和4年2月21日の東京朝日新聞は、「開演中の宝塚劇場へ/物すごい殺人鬼出現/突如花道でピストルを撃ち/…

酒井勝軍と玉利喜造

森鴎外の日記の大正11年2月26日の条に「午餐于九鬼隆一家」とある。阿部次郎の日記を見てたら、この時、面白いことが九鬼家で行われていた。 大正11年2月26日 午餐によばれて九鬼行、森先生その他と同席、玉利博士の邪気霊気説をきゝ日暮上野と四谷見附まで…

海軍大将山本英輔のトンデモ遍歴

山本英輔『真理の光』に、山本が戦前接触したり、本を読んだ霊術家などが記されている。 神田の梅田某という医者(桑原式精神霊動) 大本教(王仁三郎、浅野和三郎) 木村天眞 加藤確治 小玉呑象(易) 石龍子(観相) 池田謙三(易) 中村天風(統一哲医学…

掛川病院長山崎増造のネットワーク

日本広しと言えども、明治期の掛川病院長山崎増造なぞに関心のあるのは、ma-tango氏(と『天下之記者』の著者高島俊男氏も?)ぐらいであろう。余り関心のないオタどんではあるが、幾つかの日記に名前を見かけたので、忘れないうちに記録しておこう。 ジョン…

岡本昆石 慶應は出たけれど 

三村竹清の日記から。 大正10年7月24日 朝 岡本翁行 此日より 性心療法之筆記にかゝる 昆石翁之対話無駄話多く 岐路にわたりて要領を得す 其書も翁一流之理論多くして倦怠を催す 翁は慶応義塾之最も古き卒業生ニて 英学に達したる人なるに 今日未た聞ゆるな…

天下之奇人山田一郎と長澤雄楯

奇人にしてジャーナリストであった山田一郎というと、黒岩さんの好きそうな人物だが、わすも高島俊男『天下之記者 「奇人」山田一郎とその時代』(文春新書)を立ち読みしてみた。催眠術に関する著作もある掛川病院長の山崎増造(一昨年7月12日参照)が出て…

戦時下の霊術家

戦時下では、いかがわしい霊術家は一掃されていたのかと思っていたが、ところがどっこいそんなことはなかった。森田草平の日記によると、 昭和19年3月22日 (略)午後一時半より西荻窪の霊動会へ行く。(略)石川氏の夫人に会い、更に同氏の指圧を受く。寔に…

歌う催眠術師石川啄木

石川啄木が佐藤衣川に出合ったのは、明治37年10月に処女詩集刊行の目的で上京していた時の事になる。その佐藤をモデルにした小説*1が、「病院の窓」。執筆は佐藤と釧路新聞社で再会した後の明治41年5月で、生前は未発表である。同作品によると、 野村は或学…

催眠術師が多すぎる!

三村竹清の日記は、山口昌男氏や中野三敏氏は読んでいるようだが、ma-tango氏や書誌鳥さん(森洋介氏のこと)が読んでも面白い発見があるかもしれない。 大正10年5月9日 午後はしめて笄町之岡本昆石翁にゆく 雷嫌之為神経衰弱之療治ニゆく也 11年4月25[ママ…

 江戸風俗研究者岡本昆石の没年

旧幕時代に御留守居与力であった岡本昆石(本名・経朝)には、二つの顔がある。一つは江戸風俗研究者、もう一つは東洋性心学会長としての霊術家である。 この岡本について、鈴木棠三先生は「岡本昆石の世界」(『江戸・東京風俗史料 上巻』秋山書店、平成3…

催眠師五十嵐光龍登場

坪内逍遥の日記に催眠師が出てきた。 明治42年8月10日 玄太郎板橋行、五十嵐某よりあづかりし金魚を持行く 11月29日 西村来、玄太郎を催眠師五十嵐方へ遣す 逍遥の年譜によると、明治42年秋比から二葉亭の長男玄太郎を寄食させたが、幾ばくもなくして肺を病…

催眠術師 国木田独歩の時代

独歩にオカルティックな要素はないのかと思っていたら、中桐確太郎の「早稲田時代の獨歩」(『趣味』明治41年8月号)に次のような記述があった。 催眠術の研究などもやつた。突然に大きな声をして「其処は開かない!」といふと、弟の収二君が幾ら開けようと…

志賀直哉もすなるコックリさん

コックリさんをしていた著名人について既に何名か紹介したが、志賀直哉もその仲間と判明した。 志賀の日記によると、 大正元年9月13日 武者と柳来る。終日ゴロゝゝしてゐる。コックリ様とプランセットをする、 9月17日 平一来る 武者来る、黒木来る、児島来…

坪内逍遥的各種健康法

逍遥と岡田式静座法については、よく知られているけれど、逍遥は他の健康法も試している。 日記*1によると、 大正10年2月8日 自強術を山田ニ習ひはじむ 昭和5年8月15日 西式健康法をおせきに読み聞かせ、試みはじむ 6年2月16日 西式を又はじむ …

寺田寅彦と快楽亭ブラック

寺田寅彦の日記に、 明治31年1月7日 正午より沢田君来訪され、上村君を訪いて東雲座なる石井ブラック睡(ママ)眠術見物におもむく 余は倶楽部に至り小説など見る。 とある。 当時寺田は、熊本の五高の学生。 寺田先生とこっくりさんについては、8月29日参照…

今日は長山靖生のこっくりさん

今日の夜10時25分からNHK教育の「知るを楽しむ」の「明治サイエンス事件帳」に長山靖生登場。見るだすよ。

 宮武外骨と松本君平

宮武外骨の『スコブル』13号(大正6年11月)中の長鋏生「変われば変る耶蘇教徒」に松本君平が出てきた。 ma-tango氏が記事にしている松本と同一人物と思われる。 △宣教師の通弁であつた松本君平は、今は霊命教を興して黙徳大祖と名乗つて居る ちなみに、ma-t…

 沼波瓊音と栗原古城のお筆先

沼波武夫(瓊音)は大正5年2月から一時期巣鴨の至誠殿で信仰生活に入っていたとされる。この時期の沼波の様子が幸田露伴の日記*1に出てくる。 大正5年4月17日 夜沼彼[ママ]武雄[ママ]栗原元吉来る。二人降神術の如き事を語る。所謂御筆さきによつて古今の事…

豊島与志雄も平井金三の教え子か

恒藤恭と同様平井金三に英語の教えを受けたと思われる久米正雄が、次のように書いている*1。 豊島君は日常茶飯の間にも、彼の小説に現はるゝ如き、妙な神経から来る神秘の世界が実際あるらしい。其の点に於いて、彼はメエテルリンクの一面とひどく共鳴するら…

催眠術師がいっぱい

『変態心理』の催眠術革新号は大正9年10月発行。大正12年に三村竹清が読んでいた*1。 大正12年2月4日 夜 変態心理之催眠術革新号をよむ 大[ママ]霊道たの大本教たのを罵り 催眠術屋をこなしてゐれと 古峡さんも催眠術業らしい処が大分見える(略) 明治四十…

千里眼の時代

恒藤恭(大正5年11月までは井川恭)の日記(『向陵記』)に面白い記述がある。 明治43年12月30日 千里眼、千里眼。このごろの新聞ハ、千里眼と飛行機で持ち切って居る。誰にも出来相だが、さて僕にハ出来そうに無ひ。片桐の奥さんハ、あんな風な事が得意だか…

木村荘太とメスメリズム

木村荘八の日記『木村荘八日記[明治篇] 校註と研究』によると、 明治45年3月1日 荘太兄はメスメリズムをやりたいと云つて居た。心象の事を二三話し合ひもした。 木村荘八の兄荘太は、谷崎潤一郎らと共に第二次『新思潮』の同人。 この後メスメリズムにはまっ…

怪しげな交感術

秋田雨雀の日記にアヤシゲな人が出てきた。 大正5年8月7日 宇根、山地二君が突然訪ねてこられたので三人で自然と人間との関係について語った。宇根君は交感術ふうのものを研究している人だそうだ。山地君は人間はどうして永久性がないのだろうといっていた。…

心相学の船井さん

NDL−OPACを見てたら、船井梅南『顔形でわかる運命の自己判断法』(主婦之友社、昭和2年)というのがあった。20年以上離れているけれど、あの船井かも。 (参考)9月2日

明治36年前後の催眠術ブーム(その1)

一柳廣孝氏が言う明治36年前後の催眠術ブーム。 各種の日記にそれを裏付ける記述がある。 西田幾多郎の日記*1には、 明治38年5月25日 出校 今日午後船井某催眠術の実験をなす 9月 5日 午後船井といへる催眠術及心相学をなす人来る 当時、西田は四高の教授。…

明治36年前後の催眠術ブーム(その2)

明治18年8月生まれで当時宮崎県立延岡中学校の生徒だった若山牧水の日記*1にちょっとだけ催眠術の記述がある。 明治36年12月14日 晴 苦痛を忍んで登校す。 夜、隣家に催眠術を見る。 英語を一寸のぞく。 これだけでは、何のこっちゃ、さっぱりわからん。牧水…

平井金三と芥川龍之介

平井金三については、8月15日に言及したところであるが、『漱石研究年表』の記載の出典を示しておこう。 「漱石全集月報」14号(昭和4年4月)の松浦嘉一「漱石先生の詞」に、松浦の大正5年1月6日の日記が引用されていて、そこに漱石が次のように発言したとあ…

安成貞雄の平井金三批判

伊多波英夫『安成貞雄を祖先とす』に平井金三が出てきた。 『黒潮』創刊号(大正5年11月)の安成貞雄「「南洋の土人」の為に」で、貞雄は、<日本語はアリア語なり>と日本人の人種的優位性を主張した平井金三を批判し、その対極にあるポリネシア人について…

コックリさん、コックリさん(その5)

森銑三『明治東京逸聞史』によると、『団々珍聞』(明治19年4月24日号)に、「コクリ」の大流行を伝えて、「こゝもコクリ、かしこもコクリ、東西南北至るところコクリの大流行なり」とあるとのこと。また、森は、「このこツくりさんことプランセットは、西三…

コックリさん、コックリさん(その4)

漱石と催眠術については、長山靖生『鴎外のオカルト、漱石の科学』に書かれている。 漱石とコックリさんの関係はどうだったのだろうか。 「明治41年 断片G](『漱石全集』19巻)に、「コツクリサンノ話/既婚者、未婚者、子供ノアルナシニ就テノ観想」とあ…