神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

古屋鉄石の孫弟子、北一輝

北一輝・北署吉兄弟と、古屋鉄石の催眠術の試験台だった行者永福なる人物とは親しかったようだ。稲邊小二郎『一輝と署吉 北兄弟の相剋』(新潟日報事業社、2002年6月)によると、

 また署吉の記録にも次のように書いてある。
 「兄がどうして霊的人物になったかと言えば、すでに幼少の時からその萌芽が在った。妙な夢を見て恐れたり、夜分は何かの幻覚を生じて気味悪がっていた。兄が変態心理的傾向が強くなり、法華経を信奉するに至ったのは、永福という行者に接してからではないかと思う。
 この永福さんというのは、僕も早稲田大学の教師時代に知り合いになった。大正六、七年のころのことである。彼は若い時は催眠術者・古屋鉄石の試験台であったということだ。僕が催眠術の研究をやっていたとき、とき折り来てもらった。僕が永福さんを座らせて『南無妙法蓮華経』と数回唱えると、玉川稲荷が出て盛んに食事をしたり、日蓮が出たり、白隠が出たり、芸者になったり、浪花節語りになったりした。実に奇妙不思議であった。
 兄が霊力を備えるようになったのも、彼に接するようになったことが結縁であろう(略)」
 (略)一輝と永福という行者との出会いは、大正五(一九一六)年一月ころである。

このほか、稲邊によると、一輝は永福からお経の読み方を習った、また、永福には関西なまりがあるという。この永福という行者は、あやす〜ぃ。大正5年の早稲田大学及び署吉のあやす〜ぃ状況については、8月21日参照。また、一輝が福来友吉『心霊と神秘世界』を入手していたことについては、2009年5月28日参照。坪内逍遥が古屋の催眠術を見ていたことは、2007年8月23日参照。

追記:永福については、藤巻一保『魔王と呼ばれた男 北一輝』(柏書房、2005年4月)が既に触れていた。同書によると、稲邊のいう「署吉の記録」は、北署吉「風雲児・北一輝」宮本盛太郎編『北一輝の人間像』(有斐閣、1976年)で、署吉が家に永福を呼んだときには、中村古峡柳田國男、中桐確太郎、紀淑雄らも来たという。また、岡本幸治『北一輝 日本の魂のドン底から覆へす』(ミネルヴァ書房、2010年8月)には、永福寅造とある。