神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

アイヌ研究者吉田巌の催眠術修行日記

いやはや、明治・大正期に催眠術にチャレンジした人の日記や回想を幾つか紹介してきたが、それらがかすんでしまうような吉田巌日記第六、第七が出現した。

明治45年7月25日 東洋出版協会より本月二十日郵送の催眠術警報七月号を入手一読、所感ななめならず。即刻、瞬間催眠術教授書注文申込方、振替貯金用紙の取まとめ早速平取局に差出すべく用意しをはる。本書は既に、余の宝の山獲得の大利益なることを心の中に予告せらるるごとく、いとたのもしきものなり。便なきを遺憾とす。

    8月1日 (前略)山本鶴導氏の瞬間催眠術教授書の郵書をまち遠しくてたまらぬ。入手の上は大に活用、自他絶大の功益を表明せんかな。

    8月6日 午后一時まちこがれた催眠術教授書、入手。

吉田は、小谷部全一郎が創立した北海道旧土人教育会の経営する実業補習学校虻田学園に明治40年9月から43年まで教員として勤めた後、この当時は沙流郡荷負教育所の教員。山本の本を読んだ後、早速児童相手に催眠術を施術している。村医から福来友吉の『催眠心理学』を借り日記にびっしり写したり、平田元吉『心霊の秘密』を入手したり、竹内楠三が大学館から出した『催眠術自在』、『実用催眠学』、『催眠術治療自在』、『催眠術矯癖自在』や、渋江易軒『自己催眠術自在』、小野福平『催眠術治療精義』、近藤嘉三『催眠術独習』などを読破するは、大阪の精神科学会(横井無隣主宰)の『精神時報』も入手。ついには、古屋鉄石の精神研究会に入会し、古屋の『高等催眠学講義録』も読んでいる。そして、

大正2年10月12日 午后高等催眠(学)講義録第六巻全部通覧。いでや六巻の終の稟告に対し、余の催眠術に指をそめし以来の日誌を詳細に整理して、古屋氏に呈せむかなと決心す。 

この整理した日誌に当たるのかは不明だが、帯広市図書館が所蔵する吉田巌遺稿資料の箱番号87に「催眠術研究実験録」という文書があるようだ。なお、その他、同資料には、箱番号86に「東京精神研究会催眠術実験の光景」、93に「心霊雑談」がある*1

山本鶴導から催眠術に入り、福来友吉や竹内楠三を経て、古屋鉄石に到達した吉田だが、兄に注意されて施術は中止している*2。霊術家として名を残すことはなかったが、アイヌ研究者として名をなした。

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本の雑誌』12月号。誰ぞは見たかしら。

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*1:『吉田巌書誌』北海道立アイヌ民族文化研究センター、2008年3月。

*2:ただし、その後もしばらくは精神科学会の『精神時報』や精神研究会の『精神新報』の購読をし、時には催眠術の施術もしているので、完全に足を洗ったというわけではないようだ。