船井梅南を『木下杢太郎宛知友書簡集 下』で奇跡的に発見。
河合錦子(神戸市北長狭通五ノ一九)の昭和2年1月5日付け書簡に、
それは船井梅南といふ人相見、昨年の六月ニ精神病をなほして上けました、其後東京へ帰つて自分か無心ニなつて念すれハ其人ハ自分のいふまゝニなる 手を上けよといへハ手を上け下けよといへハ下けさいみん術見たような物てすと申候 それハ私からおさつけを頂きし後の事ニて矢張或部分神殿の自由用自在のりを頂きし事と存候 然し船井さん商売人故只自分かその後今そふなつたといふたのてそれハ十一月出京の時あふて聞きました 或精神界の事を研究してをる人ニ私かおさつけを取次くと一つの神通力を得る事かと思ひ候
河合は、杢太郎の次姉で、岳父河合浩蔵の後妻にも当たる人。同じ書簡中に、神戸の保険会社支店長で「霊道とかいふ会」に入っている人に、河合が「天理教のおさつけ」をしたとも書いているので、同教の信者で、霊能者でもあったようだ。
船井については、昨年9月4日に言及した人物。この書簡によると、河合のおさつけを受けてから催眠術が出来るようになったみたいだから、西田幾多郎の明治38年の日記に出てくる船井とは別人か。
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