神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

明治30年杉村楚人冠と三島海雲が京極で見物した快楽亭ブラック?の催眠術

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 一柳廣孝『催眠術の日本近代』(青弓社、平成9年11月)によると、明治30年前後催眠術ブームが一時期途絶えていた。

 明治二十年以降を通観するかぎり、催眠術はかなりの隆盛を誇っていたといっていいだろう。しかしそのブームも、明治三十年前後になって、いったん火が消えたようにとだえたらしい。(略)

 その下火になり始めた頃の明治30年京都の京極で催眠術を見学していたグループがいた。西本願寺文学寮の教師杉村楚人冠と学僧の三島海雲らである。山川徹『カルピスをつくった男』(小学館、平成30年6月)に『楚人冠』(現代書館平成24年7月)の著者小林康達から見せられた楚人冠の日記明治30年5月9日の条が出ていて、「催眠術観覧の為、大菅、三嶋、植松三人と相伴うて京極に至り、二時より之を見物す」とある。
 この時期地方で催眠術の実演をしていた人物としては、英国人の落語家快楽亭ブラックがいる。佐々木みよ子森岡ハインツ快楽亭ブラックの「ニッポン」』(PHP研究所、昭和61年10月)と小島貞二『決定版快楽亭ブラック』(恒文社、平成9年8月)によれば、ブラックは、明治29年神田の錦輝館で初めて催眠術を公開したのち、31年新京極で人情噺とマジック、催眠術を実演している。その後も催眠術を続け、明治37年6月には「催眠術治療法を研究、胃腸病院主と合同で治療を開始」と新聞に出ている。霊術家になる一歩手前だったのかもしれない。明治30年に楚人冠らが京極で見た催眠術も快楽亭ブラックが実演したものだった可能性は高そうだ。
 なお、その後来る明治36年前後の催眠術ブームについては、次を参照されたい。
・「『『食道楽』の人 村井弦斎』余話 - 神保町系オタオタ日記
・「明治37年の睡眠術狂言 - 神保町系オタオタ日記
・「明治36年前後の催眠術ブーム(その1) - 神保町系オタオタ日記
・「明治36年前後の催眠術ブーム(その2) - 神保町系オタオタ日記
・「明治36年前後の催眠術ブーム(その3) - 神保町系オタオタ日記
 余談だが、家蔵の『快楽亭ブラックの「ニッポン」』に押された蔵書印。まさか、會津信吾氏?
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