神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

 宮崎滔天と太霊道 


晩年、大本教に関心を持ったり、大宇宙教の信者となった宮崎滔天は、太霊道についての文章を書いたことがある。
上村希美雄『宮崎兄弟伝 完結篇』によると、

そうした中で「お直婆さん」の神観はしぜん一家の評判となり、『大本教批判』*1は家族の手に廻し読みされて、宮崎家の食事時の話題ともなったらしい。神秘的なもの、人間の存在をこえて実在する霊界の営みなど、滔天は特に若い時からその種の問題に興味を有していた(*)だけに、話は時につきるところを知らなかったようだ。


*原注:滔天のこの種の興味を物語る実例としては、『東京より』大正八年九月二十三日から一週間書き綴った「太霊道」の田中守平の話、仙人志願者菅原某、若い時出会った市川の霊灸師鶴吉の話等を参照。(略)


「東京より」は、大正7年5月12日から10年7月5日まで『上海日日新聞』に寄稿した政治社会評論で、『宮崎滔天全集第2巻』所収。太霊道の話と言っても、知人から聞いた話を紹介しているだけではある。なお、松本健一氏の『神の罠』による*2と、滔天は江木衷、浅野和三郎、松村任三、杉山義雄とともに心霊科学研究会設立の首唱者であったという。もっとも、大正11年5月31日から大宇宙教教祖堀才吉が滔天宅に寄寓し、月例会を滔天宅で開催していた時期で、また、滔天は同年12月6日に亡くなっているので、それほど深くは関与していなかったのであろう。

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「里見とん」ではなく、里見甫のアヘン資料の発見。誰が発見したのかすら。→「http://www.asahi.com/national/update/0816/OSK200808160057.html


今日、NHKで「日本軍と阿片」の特集があるらしい。→「http://www.nhk.or.jp/special/onair/080817.html

*1:服部静夫著

*2:出典は『心霊界』創刊号(大正13年2月)の「心霊科学研究会たより」らしい