神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2007-09-01から1ヶ月間の記事一覧

森見登美彦の「京大小説」なるものを見る

森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』を読む。 学園祭が舞台の一つに使われていて、「ビューティフル・ドリーマー」を連想した。 盟友の書物奉行氏が「京大小説」と名づけているものの、特に京大固有の話はないので、京大のことを知らない人でも楽しめるはずで…

『婦人文芸』の中村古峡

『彷書月刊』1986年6・7月号の「『婦人文芸』総目次(2)」「同(3)」によると、中村の「狂人の手記」「同」「同<三>」「同<四>」が、『婦人文芸』の14号(1915年9月)、15号(同年10月)、16号(同年12月)、18号(1916年3月)に、「尊[ママ]長の家−…

まさか、あの小野法順か!?

小野法順といって、その名前に心当たりのある人は、谷崎潤一郎の研究者だけであろうか。いや、谷崎の研究者でも小野の名前を覚えている人は少ないだろう。 明治45年6月末、汽車恐怖症だった谷崎が東京へ戻る際に、名古屋まで付き添った人である。 『天羽英二…

神保町ワンダーランドは売れない本の山

本好きの人にとっては、神保町全体がワンダーランドみたいなもの。そのワンダーランドを店名にした古書店がかつてあった。 1979年10月に開店しているが、開店まもないそのワンダーランドをma-tango氏は訪ねたことがあるという。さすが、あの『幻想文学』誌の…

 国民精神文化研究所とスメラ学塾・皇戦会の関係

荻野富士夫氏(小樽商科大学教授)が書かれた『思想検事』(岩波新書)は、内容はすっかり忘れてしまったが、有益な書と感じたことだけは覚えている。その荻野氏の『戦前文部省の治安機能−「思想統制」から「教学練成」へ』(校倉書房、2007年7月)を読んだ…

皇戦会理事長中岡彌高の対ソ連工作

皇戦会理事長だった中岡彌高とともに仲小路彰の名前が木戸幸一の日記に出ている。 昭和19年2月28日 三時官舎に至り、中岡彌高中将、仲小路彰氏と面談、戦争の見透と転換策としての独ソ和平の斡旋等の問題に関し意見ありたり。 9月11日 二時半官舎に至る。三…

今日も居眠り、田中稲城帝国図書館長

宮武外骨の『スコブル』15号(大正7年1月)所収の「十年一日の如き人(上)」によると、 ・田中稲城は十年一日の如く図書館で居睡り 現国会図書館長は居眠りしているヒマはなさそう。 追記:黒岩比佐子さんが「本郷カッフェ」を発見。何と一時期、早稲田に支…

永代静雄と満蒙研究所(補遺)

永代静雄と坂口二郎・大蔵公望について、書き忘れたことがあった。 坂口・大蔵は永代が昭和17年に創設した「大東亜伝書鳩総聯盟」の創立賛成人である。 この創立賛成人については、5月30日に紹介したところだけど、そこで挙げた人の他には、次のような名前も…

 早稲田文学「けものみち」化計画

フリーペーパーの『WB』で「けものみち計画の文豪擬獣化宣言」(文:南陀楼綾繁、画:内澤旬子)スタート。第1回は「内田百輭=フクロウ」。「nanakikae」さんの「日々是懶夢」も開始。凄いことになってきやがった。 - 小谷野敦「わたしの好きな学者たち」…

 満蒙資料協会と『中国紳士録』

永代静雄の「満蒙研究所」については、よくわからなかったが、「満蒙資料協会」というのを見つけた。 『昭和十八年版日本文化団体年鑑』(『戦時下日本文化団体事典』第3巻で復刻)によると、 所在地 東京都麻布区市兵衛町一ノ六 電話赤坂一二一八 役員 主幹…

「童貞放浪記」対『セックス放浪記』

中村うさぎの『セックス放浪記』(新潮社)を見る。中身は読んでいないが、タイトルを見て猫猫先生の「童貞放浪記」(『文學界』10月号)と対にしてみた。中村の本には、猫猫先生の天敵(?)の佐藤優との対談までついている(笑 追記:『散歩の達人』10月号…

永代静雄と満蒙研究所

永代静雄は、田山花袋「蒲団」の田中秀夫のモデル 本邦における『不思議の国のアリス』の最初の翻訳者 「永代湘南」名義でSFを執筆(横田順彌氏の説) 新聞研究所の創設 伝書鳩の愛好家(3月23日、5月30日参照) として知られているが、別の顔を発見した。…

中村古峡と吉野作造

吉野作造の日記*1に中村古峡が登場。吉野が、中村の創設した日本精神医学会の賛助員だった関係か。 大正13年7月1日 昼頃学校に行く 昼飯は食はず中村古峡君と食堂に遇ふ約束を朝電話でしたのを頓と忘れる 一時頃食堂から帰った平野君に注意されて駆けゆく 別…

 宮武外骨と松本君平

宮武外骨の『スコブル』13号(大正6年11月)中の長鋏生「変われば変る耶蘇教徒」に松本君平が出てきた。 ma-tango氏が記事にしている松本と同一人物と思われる。 △宣教師の通弁であつた松本君平は、今は霊命教を興して黙徳大祖と名乗つて居る ちなみに、ma-t…

「同情するなら金をくれ」と、坂本紅蓮洞言い

奇人と言えば、この人も挙げておかねば。グレさんこと、坂本紅蓮洞。同じく奇人として知られる宮武外骨の『スコブル』14号(大正6年12月)の「地獄耳」によると、 ▼例の坂本紅蓮洞は竹本綾之助方の家庭教師に成つて、息子に数学を教へて居たが、それも縁切れ…

ツンデレの男性版、オラニャン

ツンデレに対して、オラニャン*1という若者語があるらしい。「L25」による。 「日本語俗語辞書」というサイトがあるとのこと。 わすもオラニャンすたいだす(笑 *1:普段「オラオラ」と強気で男っぽいが、彼女など異性と二人きりになると「ニャンニャン」と甘…

大賀寿吉と坪内逍遥

民間のダンテ研究者大賀寿吉が坪内逍遥の日記に出てきた。 大正10年11月26日 午前九時三十八分 東京駅より特急ニテ大阪行(中略)車中にて大阪の薬種商、もと同志社出身 ダンテ研究の大賀寿吉と会談、夜八時十八分梅田着、石割、毛利、士行、辰巳正直ら八九…

森見登美彦と吉田寮

『小説現代』9月号での森見登美彦と柴崎友香の対談。 柴崎 (前略)私、吉田寮(京都大学吉田キャンパス吉田南構内と隣接する自治寮)でのイベントとか行きましたよ。 森見 ほんまですか!?僕は学生寮の類いには足を踏み入れたことがないんですよ。知り合い…

大阪の奇人岡田播陽

辻潤の周辺にいた奇人。『癡人の独語』(書物展望社、昭和10年8月、『辻潤全集』3巻)所収の「おうこんとれいる」によると、 知人にも坊さんがいる。高光大船氏などはそのひとりであるが、毎月送ってもらう「直道」という氏の個人雑誌は私の愛読するところで…

市島春城と紅療法

市島春城の日記*1に紅療法(といっても、よく知らないが)が出てきた。 明治41年3月24日 松原九郎より、紅料塗擦神経療法の書類を贈らる。 松原九郎は不詳。 *1:『早稲田大学図書館紀要』39号

 沼波瓊音と栗原古城のお筆先

沼波武夫(瓊音)は大正5年2月から一時期巣鴨の至誠殿で信仰生活に入っていたとされる。この時期の沼波の様子が幸田露伴の日記*1に出てくる。 大正5年4月17日 夜沼彼[ママ]武雄[ママ]栗原元吉来る。二人降神術の如き事を語る。所謂御筆さきによつて古今の事…

台北帝国大学図書室の岩石正夫

坪内逍遥の日記*1に、 昭和9年10月1日 台北大学図書室の校友岩石正夫へ 台湾人形を演博へ寄贈の礼をいひやる(西岡某上京云々) とあった。残念ながら澤田兼吉とかいう人は出てこないだすね。 *1:『未刊・坪内逍遥資料集』6巻

井上円了に美人の娘あり

岸田劉生の日記*1に、井上円了の名前が出てきた。 大正10年3月6日 京橋の星製薬の階上の白樺美術館の第一回展覧会見る。大逸がゐて、誰れか来たかと聞いたら清宮*2が来て白木の展覧会へ行つたと云ふので、電車で行つてみて、結局食堂で合ふ。井上円了の娘と…

谷崎潤一郎が飼っていた広東犬(その2)

谷崎の広東犬を目撃していた人がもう一人いた。 大阪朝日新聞出身でプラトン社の『女性』の初代発行人だった松阪寅之助(青渓)。 『モダニズム出版社の光芒』によると、高島屋の総合情報紙『百華新聞』27号(昭和2年1月11日)に、署名はないが青渓の取材に…

豊島与志雄も平井金三の教え子か

恒藤恭と同様平井金三に英語の教えを受けたと思われる久米正雄が、次のように書いている*1。 豊島君は日常茶飯の間にも、彼の小説に現はるゝ如き、妙な神経から来る神秘の世界が実際あるらしい。其の点に於いて、彼はメエテルリンクの一面とひどく共鳴するら…

ある帝国図書館員の死

大正5年3月5日の『東京朝日新聞』を見ると、 ●昇降機で圧死▽上野図書館の給仕 (前略)上野帝国図書館給仕安田富士雄(十七)は三日午後十時頃同館内にて昇降機にて書籍を運搬中過つて同機に挟まれ頭部に重傷を負ひ直に(中略)関野病院に入院治療中の処午前…

谷崎潤一郎が飼っていた広東犬

谷崎潤一郎が飼っていた犬や猫については、小谷野敦『谷崎潤一郎伝』に詳しい。これによると、谷崎は、大正15年2月、長崎の永見徳太郎宅で広東狗(チャウチャウ)を見て欲しくなり、上海の陳抱一から二匹送ってもらったという。それは、生後二三箇月ぐらいの…

東方社理事中島健蔵

多川 精一『戦争のグラフィズム―『FRONT』を創った人々』(平凡社ライブラリー) によると、中島健蔵は、東方社理事として、昭和19年後半から次第に実質的に社のリーダーシップをとるようになったという。 その中島の具体的活動が、『矢部貞治日記』第4巻に出…

谷崎潤一郎詳細年譜の作成者

『公評』で連載中の武田勝彦(早稲田大学名誉教授)「日本橋トポグラフィー」は、 ここ何回かすっかり谷崎潤一郎関係の論考になってしまっている。 少し古い話になるが、3月号の「第16回 谷崎潤一郎の領外帰向」の記述には少し問題があった。 そこで、こ…

催眠術師がいっぱい

『変態心理』の催眠術革新号は大正9年10月発行。大正12年に三村竹清が読んでいた*1。 大正12年2月4日 夜 変態心理之催眠術革新号をよむ 大[ママ]霊道たの大本教たのを罵り 催眠術屋をこなしてゐれと 古峡さんも催眠術業らしい処が大分見える(略) 明治四十…