神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

東方社理事中島健蔵


多川 精一『戦争のグラフィズム―『FRONT』を創った人々』(平凡社ライブラリー) によると、中島健蔵は、東方社理事として、昭和19年後半から次第に実質的に社のリーダーシップをとるようになったという。


その中島の具体的活動が、『矢部貞治日記』第4巻に出てきた。

昭和19年7月11日 (前略)今朝中島健蔵君が使者をよこして、会ひたいと言ひ、三時に会ふ約束をしたので、中途で抜けて九段の東方社(野々宮アパート)に行く。要するに話しは参謀本部第一部を背景に仏印や泰やに新しい思想戦をやりたいので協力して呉れとの事で、今までの観念論を一擲してかゝるといふことで趣旨はいゝが、何分忙しいのと、さういふ仕事に適格でないといふ理由で、僕はモラル・サポート以上には出られない旨を返事。 


参考:矢部貞治(4月6日


追記:片山杜秀『近代日本の右翼思想』(講談社選書メチエ)を見る。三井甲之の『手のひら療治』の話あり(2月26日参照)。