沼波武夫(瓊音)は大正5年2月から一時期巣鴨の至誠殿で信仰生活に入っていたとされる。この時期の沼波の様子が幸田露伴の日記*1に出てくる。
大正5年4月17日 夜沼彼[ママ]武雄[ママ]栗原元吉来る。二人降神術の如き事を語る。所謂御筆さきによつて古今の事を知るといふ。(中略)論語の如きも御筆さき即神示によりて新解を得、これを新脩養社に寄せたりといふ。(後略)
沼波だけでなく、栗原元吉(古城)までもが新興宗教に取り付かれていたか。
なお、栗原はこの月にメーテルリンクの『死後は如何』の翻訳書を玄黄社からを出している。
追記:古本市もないのに、京都をウロウロしている人がいるみたいだすね。
某総合資料館で思い出した。昔、展覧会に行ったら、おばさんが会場に控えている女性職員に「展示品の説明をしてくれた人から、時計を置いていくからお金を貸してくれと言われた。背広を着ていて、親切に説明してくれたので職員かと思っていた」と苦情を言っていった。それを聞いた女性職員はいかにも余分な事を聞いたという感じで一言も返事をしていなかった。こういう場合、普通は事件の再発を防ぐためにも上司を呼んでくるなり、詳しく聞いてメモをするなりするのが普通の対応だと思う。その寸借詐欺のおじさん(なのだろう)は、その後も出没しているのかしら。
猫猫先生が久しぶりにプライベートモードへ移行。新たなる戦いに備えてか。
「はてな」上で猫猫先生のことを話題にしながら、「私は猫猫先生とは係わり合いにはなりたくない」と書いている人がいるが、その言葉とは反対に係わりたいという願望があるとしか思えないが。
-------------------------------