恒藤恭と同様平井金三に英語の教えを受けたと思われる久米正雄が、次のように書いている*1。
豊島君は日常茶飯の間にも、彼の小説に現はるゝ如き、妙な神経から来る神秘の世界が実際あるらしい。其の点に於いて、彼はメエテルリンクの一面とひどく共鳴するらしい。而して此間中は太霊道にいたく興味を持つて、入らうかと思つてゐたのさうだが、其の中に太霊道が山師めいた広告を始めたので、すつかり厭気がさして廃めたと自ら話してゐた。
豊島は明治42年9月一高第一部丁類入学、大正元年9月東大文学科仏蘭西文学専修入学、4年7月卒、同年10月陸軍中央幼年学校フランス語担当教官、7年3月芥川龍之介の推薦で横須賀の海軍機関学校嘱託教官。
一高では、恒藤恭らのいた英語系と異なり、豊島は仏語系だが、平井金三の英語の授業を受けていたとすれば、色々想像させるものがあるね。
追記:内澤旬子・高野秀行の対談(『小説すばる』10月特大号)の広告が、新聞に写真付で出てるね。