神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2007-09-01から1ヶ月間の記事一覧

金座後藤の末子としての後藤末雄さん

三村竹清の日記*1になぜか後藤末雄(谷崎潤一郎の友人)が出てくる。 大正7年11月3日 朝 竹栢園へ行く 後藤季[ママ]雄といふ人にあふ 肥たる鼻の大きなる五分刈之めかねをかけたる若き人也 帝国文学之編輯をして居る仏国文学をやる人之由 金座後藤之末子也と…

菊池寛とポール・リシャール

菊池寛がポール・リシャールについて言及していた。 (帝國文學)では、ポール・リシャール博士の「第十一時」と云ふ思索を読んで、深い感銘を得た。此頃は復讐に狂奔して居るやうな仏蘭西人の中にも、平和だとか国際聯盟などに就て鋭い、然しながら正しく澄…

世田谷美術館の資生堂展

世田谷美術館って、確かさんまの「男女七人物語」(夏か秋のどっちだったか?)でお見合い場所のシーンに使われていたね。フランス料理のレストランもあり、おしゃれな美術館である。用賀駅から美術館までの途中にある散策路(短いけど)もよくできている。…

モダンガールの北澤秀一

斎藤美奈子。小谷野敦氏とは、仲がいいのか悪いのか、結局よくわからないが、それはさておき、『モダンガール論』で次のように言っていた。 日本におけるモダンガール(正確にはモダーン・ガール)という語の初出は、関東大震災の翌年の女性誌(『女性』大正…

赤木桁平と薄井秀一

赤木桁平こと、池崎忠孝。今では、「「遊蕩文学」の撲滅」の著者としてのみ名前が残っているらしい。 薄井秀一。明治末期の千里眼の時代に、東京朝日新聞の記者として『神通力の研究』を執筆。 この両者は親しい仲であった。 赤木の追悼録*1所収の朝倉文夫「…

千里眼の時代

恒藤恭(大正5年11月までは井川恭)の日記(『向陵記』)に面白い記述がある。 明治43年12月30日 千里眼、千里眼。このごろの新聞ハ、千里眼と飛行機で持ち切って居る。誰にも出来相だが、さて僕にハ出来そうに無ひ。片桐の奥さんハ、あんな風な事が得意だか…

木村荘太とメスメリズム

木村荘八の日記『木村荘八日記[明治篇] 校註と研究』によると、 明治45年3月1日 荘太兄はメスメリズムをやりたいと云つて居た。心象の事を二三話し合ひもした。 木村荘八の兄荘太は、谷崎潤一郎らと共に第二次『新思潮』の同人。 この後メスメリズムにはまっ…

怪しげな交感術

秋田雨雀の日記にアヤシゲな人が出てきた。 大正5年8月7日 宇根、山地二君が突然訪ねてこられたので三人で自然と人間との関係について語った。宇根君は交感術ふうのものを研究している人だそうだ。山地君は人間はどうして永久性がないのだろうといっていた。…

オタどん、猫猫先生を撃破

猫猫先生が再び裏切ってから、幾月たったことか。 オタどんは、「この恨み、はらさでおくべきか」(笑)と、逆襲のチャンスをうかがっていた。ようやく、その機会が来たようだ。 3月1日に紹介した、谷崎潤一郎、濱本浩、佐藤紅緑、仲木貞一をめぐる事件につ…

大川周明の日記にも「昭和通商」

秘密のベールに覆われた昭和通商だが、大川周明の日記にも姿を現した。 昭和18年2月17日 読売新聞の西貢支局長河辺確治君が松下君から託された手紙とマルテル二本を携へて来てくれた。いろいろと佛印の話あり。武尾君が無断にて大南公司を去り昭和通商に入れ…

知られざる大アジア主義ネットワーク

『秋田雨雀日記』に出てくるポール・リシャールなる人物については、8月13日に言及したところ。ma-tango氏が新宿中村屋に言及していたことに、刺激を受けた。 同日記には、次のような記述もある。 大正8年10月19日 けさ、大杉君からの紹介の安南人陳君がきた…

心相学の船井さん

NDL−OPACを見てたら、船井梅南『顔形でわかる運命の自己判断法』(主婦之友社、昭和2年)というのがあった。20年以上離れているけれど、あの船井かも。 (参考)9月2日

明治36年前後の催眠術ブーム(その3)

大川周明と交流のあった人物としては、藤澤親雄、櫻澤如一、小谷部全一郎、高田集蔵の他、安江仙弘がいるが、楢崎皐月とも関係があったというから驚きである*1。大川の日記(『大川周明日記』)を見ていると、彼の原点には催眠術との出会いがあったようだ(…

明治36年前後の催眠術ブーム(その1)

一柳廣孝氏が言う明治36年前後の催眠術ブーム。 各種の日記にそれを裏付ける記述がある。 西田幾多郎の日記*1には、 明治38年5月25日 出校 今日午後船井某催眠術の実験をなす 9月 5日 午後船井といへる催眠術及心相学をなす人来る 当時、西田は四高の教授。…

明治36年前後の催眠術ブーム(その2)

明治18年8月生まれで当時宮崎県立延岡中学校の生徒だった若山牧水の日記*1にちょっとだけ催眠術の記述がある。 明治36年12月14日 晴 苦痛を忍んで登校す。 夜、隣家に催眠術を見る。 英語を一寸のぞく。 これだけでは、何のこっちゃ、さっぱりわからん。牧水…

平井金三と芥川龍之介

平井金三については、8月15日に言及したところであるが、『漱石研究年表』の記載の出典を示しておこう。 「漱石全集月報」14号(昭和4年4月)の松浦嘉一「漱石先生の詞」に、松浦の大正5年1月6日の日記が引用されていて、そこに漱石が次のように発言したとあ…

安成貞雄の平井金三批判

伊多波英夫『安成貞雄を祖先とす』に平井金三が出てきた。 『黒潮』創刊号(大正5年11月)の安成貞雄「「南洋の土人」の為に」で、貞雄は、<日本語はアリア語なり>と日本人の人種的優位性を主張した平井金三を批判し、その対極にあるポリネシア人について…