神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

関東大震災前後の三浦関造


山村暮鳥全集』所収の年譜によると、

大正12年7月 この月、詩中心の雑誌発刊を計画し三浦関造と連名で宣言書を印刷し知友に配布、会員を募り十月までに百名近く入会者を得たが実現しなかった。


「宣言書」は、『郷土』第10号(大正12年9月)に掲載された。土田杏村、三浦、山村の連名で、みどりや書店(東京市外池袋八六六)から発行するとある。みどりや書店は、花岡憲二経営の書店である。
この雑誌、名前を『大自然』とする予定だったらしいが、関東大震災の発生により実現しなかった。


大正12年9月(推定)10日付け友常幸一宛書簡

 まあ考へてみたまへ、雑誌どころじやないよ。でも自分達の使命はいよいよ大きい。自分は原稿(多年苦心の)がみんな東京で灰になり、これからどうして食つてゆけるか困つてゐる。
 そのうち雑誌はきつとだす、三浦君の生死不明、資金の百円もあつめてくれないか、


・同年10月3日付け馬場京助宛書簡

 全堂丸焼け、家族一同九死にからうじて一生を得た三浦氏はいま京阪地方に赴き、雑誌の資金募集中です。


・同月付け吉野義也宛書簡

 雑誌の方も一頓挫であつたが、三浦君丸潰れ、丸焼けで、それでも□たすかり、いま京阪地方へ雑誌の資金募集にでかけてゐる。
 三浦君は神奈川にゐたんだ。


・同月付け柳橋好雄宛書簡

 雑誌一とんざの形であつたが、生死不明の三浦君が丸つぶれ丸焼けになつたが、家人共九死に一生を得てたすかり、一昨日、大阪へ雑誌の資金をあつめにでかけた。実に勇壮である。勿論、自分の生活の保証をうるためもあるのだらうが−
 兄の紹介した申込は一人も来てゐません。
 まだ百幾人かで心細い。もつとも、地震さわぎで誰もかれもそれどころではないのだらう。いま諸方で勧誘してくれてゐるから二百人位にはすぐなる筈、


大正13年1月13日付け吉野義也宛書簡

 「大自然」も三浦君の方がはかどらないので、弱つてゐる。自分と自分の理解者とだけのものとしてはじめるとよかつたといさゝか後悔してゐる。


全集の解題によると、三浦は、『第三帝国』の改題誌『文化運動』(大正7年11月改題。石田知治・みつじ夫妻経営。大正11年12月からは下中弥三郎日本教員組合啓明会の機関誌となる。)の編集の実務を担当していたという。

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角川選書40周年記念の広告に黒岩さんの独歩本も大きく出てた。

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『神の國』→「http://www.hachiman.com/books/89350-385-5.html」。「復刻版」は余分だったみたい。
法務省から閲覧中止要請があり、閲覧中止中の『合衆国軍隊構成員等に対する刑事裁判権関係実務資料 検察提要6』は、NDL−OPAC上は特段の表示はないね。申込みはできるが、カウンターで断られるのかしら。

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雨だすね。東京堂書店の傘袋は、折りたたみ傘を入れるには、口が小さくて、入れにくい。三省堂並みの大きさにしてくれ。


太陽の牙ダグラム」というのは覚えがないが、「装甲騎兵ボトムズ」なら覚えている。