「書物蔵」さんも読んだという井上義和『日本主義と東京大学』(柏書房,2008.7)。小田村寅二郎が東大を追われることとなる事件の発端となった寄稿は、光明思想普及会(成長の家)から発行された『いのち』昭和13年9月号掲載の「東大法学部に於ける講義と学生思想生活 精神科学の実人生的綜合的見地より」であった。この『いのち』だが、『生長の家四十年史』によると、
昭和十一年十一月『生命の藝術』を改めて、『いのち』を刊行。(略)執筆陣には、中河与一、本荘可宗、荻[ママ]原朔太郎、杉森光次郎、倉田百三、武者小路実篤、長与善郎、片山敏彦、中谷武世、谷川徹三、伊藤正徳、保田与重郎、小島威彦、浅野晃、難波田春夫、亀井勝一郎氏らの協力を得、常に時局に即応した論文を掲げ、時に特輯号を組んだ。ユダヤ問題に関しては『いのち』が特輯号*1を出して後、次第に世間が騒ぎ出す等先鞭的な面もあった。
スメラ学塾の小島威彦が出てくるね。『いのち』には、ここで名前が挙がっている他に、仲木貞一、藤澤親雄、吉田三郎、黒田礼二、清水宣雄らも執筆しているから、研究の必要な雑誌だね。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
誰ぞが休んでいる間に、アクセス50万件に近づいてきただす。