神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

西村賢太が集めていた藤澤清造寄稿の宗教雑誌『宇宙』の凄さー北村兼子も執筆ー


 『西村賢太旧蔵資料目録』(石川近代文学館、令和6年3月)を読んでいて最も驚いたのは、「雑誌」の中に「宇宙 2(11),3(6),4(5) 宇宙社 1927.11.1-1929.5.1」があったことだ。『宇宙』は、「日本大学総長山岡萬之助が主宰した宗教雑誌『宇宙』(宇宙社)と大東信教協会 - 神保町系オタオタ日記」で紹介した日本大学学長・総長だった山岡萬之助が主宰していたと思われる宗教雑誌である。
 賢太が所蔵していた3冊のうち、2巻11号,昭和2年11月には藤澤清造「赤恥を買ふ」が掲載され、何度か小説集に収録された。残る2冊だが、大阪府立中央図書館所蔵本で確認すると、3巻6号,昭和3年6月に「哀しき世相断面」(随筆)が載っていた。これは、賢太が作成した『藤澤清造全集内容見本』(朝日書林、平成12年12月)の収録予定作品には含まれていない。この段階ではまだ入手していなかったのだろう。また、4巻5号,昭和4年5月には清造の寄稿は無かった。ピンポイントで購入したのではなく、他の号と抱き合わせだったのかもしれない。
 清造と宗教雑誌というのは、不思議な組合せである。3巻6号は「イプセン百年祭記」、4巻3号,昭和4年3月は「芝居演劇の物語り」の小特集で、『宇宙』は時に演劇関係の記事も載せている。そこに清造と同じ石川県出身で日本大学講師だった劇作家仲木貞一*1が執筆している。仲木が清造を紹介したのかもしれない。
 ところで、4巻5号に清造は書いていなかったが、なんと北村兼子*2が「松原教授と私」を書いていた。更に同巻3号にも「淡墨の梅」を書いている。前者は日本大学教授松原寛の話、後者は15歳の時の回想である。調べていない他の号にも寄稿しているかもしれない。兼子については、大谷渡『北村兼子:炎のジャーナリスト』(東方出版、平成11年12月)があるものの、平山亜佐子『明治大正昭和化け込み婦人記者奮闘記』(左右社、令和5年6月)の刊行によって一躍その存在が注目された婦人記者である。
 『宇宙』に注目している研究者・好事家がいるようで、「日本の古本屋」に出品された16件すべてが売り切れている。「神道各派大観号」(昭和5年1月)、「日蓮各派大観号」(同年10月)、「宗教怪奇物語号」(昭和6年7月)、「皇道大観号」(昭和8年9月)、「猶太と華僑特集」(昭和14年2月)などの良さげな号は、誰の手に渡ったことか。いつか全号(大正14年3月~昭和19年9月?)の目次が「ざっさくプラス」(皓星社雑誌記事索引データベース)に登載されれば、宗教関係者はもちろん、近代文学、女性史や日本オカルティズムの研究者があっと驚く作品・記事の発見につながるかもしれない。