神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

市河彦太郎と満洲開拓読書協会


図書奉行さんの論文*1によると、昭和18年6月15日に「満洲開拓読書協会設立趣意書」が発表され、発起人は藤井崇治(逓信官僚)、市河彦太郎(外務官僚)、岩松五良(文部官僚)、衛藤利夫中田邦造の5名であったという。市河は、この頃、戦時調査室委員で「お茶引き藝者」(昨年7月26日参照)だったはずだが、昭和15年、市河が外務省の対外文化事業の責任者であった時に、同協会の前段階としての「一燈文庫運動」の発動をしたという経緯により、協会にも関与したようだ。


昭和18年中の市河の動向は、石射猪太郎の日記で追うことができる。

昭和18年2月1日  ○石沢[豊・総領事・待命中]、市河[彦太郎・特命全権公使・待命中]両君伊東行の収穫物を齎して帰る。


    4月16日 ○市河[彦太郎]公使の案内で銀座松島と云ふ家で天婦羅をタラフクたべて帰る。


    5月18日 ○市河君本日支那旅行の途に上る。


    11月9日  ○夜市河[彦太郎・公使・戦時調査室委員]君の主唱で祝賀の杯を挙げる。銀座のとあるランデブー。酒肴充分に有矣。


注:[ ]内は原著の編者による。


市河君がシナへ何しに行ったのか気になるところである。また、市河は、この年の9月14日には日本教学研究会協議会に出席し、10月30日には古川ロッパと麻雀をしている(昨年6月5日参照)。


それと、昨年4月9日に紹介したけれど、高松宮日記昭和20年7月4日の条で市河が言及している「支那ノ現代ノ問題、書物ヲ題トシテ研究シテヰルモノヽ会」とは何だろうね。

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*1:鞆谷純一「満洲開拓地読書運動--中田邦造を中心に」『図書館文化史研究』24号、2007年