神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

山本鼎が渡航中に出会った人々

山本鼎の「渡航日記」*1には、どこかで聞いたことのあるような人名がずらりと登場する。


明治45年7月16日 此処で米国産の手品師の一行や、臭いきたない支那人共がのり込むだので、阪田、沢木*2の両君は甲板のスモーキング・ルームに逃け出した。予も床を移すはづであったが、幸ひにも、予の室には三人の日本人が来た。此日本人はジョホールへゴムの植林にゆく一行で隣室には一人の元気な妻君も居る。段々はなして見ると其隊長の小島文八と申す人は中沢臨川氏や蒲原氏や国木田氏の交友です。一人の藤田と申す人も又吉岡信敬君の交友であった。
従って小島氏は外国語学校仏語科の出で、文芸の趣味豊かな人、藤田氏は至誠の気稜々たる純なる愛国者である。


明治45年8月十六日より十九日 夕方富士の如き火山のそばを通過した。海から首だけ出して煙をふいて居る、予は未醒君と春浪君を思い起した。


「未醒君と春浪君」には、注は要らないよね。
押川春浪の天狗倶楽部と小杉未醒のポプラ倶楽部については、ヨコジュンさんや山口昌男氏の著作ですっかり有名になったよね。
ところで、ヨコジュンさんなら、小島文八とか藤田とかすぐにわかるのかもしれないが、わしは調べないとわからんよ。宿題。


*「はてな」のカテゴリーを入力してみたけれど、「はてな」みたいにブログ内検索機能がある場合、あまりカテゴリー化の意義が見出せないけど、どうなのだろう。

*1:山本鼎の手紙』、上田市教育委員会、1971年10月

*2:沢木梢