神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

カフェー発祥の地としての本郷(その2)


昭和の初期、「本郷カフエー」が日本最初のカフェーであることに気がついた文人がいる。その証言を見てみよう。


・・・・・・それは、私が中学に入つたか、入らなかつたかの時分だつたから、かれこれ二十年近く前にはなるのだらう、今日ではアスフアルトの立派な道になつたが、その頃はやつと区画整理で取りひろげになつたばかりのゴミゴミした一高前から白山上にぬける、あの通路の只一つの曲り角の所に一軒の洋食屋が出来た、そして、この出来た洋食屋の表にかけられた看板が「本郷カフエー」であり、恐らくは、それは日本でカフエーと名のられた最初の店だつたであらう−此の店は、たしか今日でもその出来たときと同じ場所に存在してゐる筈だから、お望みの方は行つて御覧になるがいゝ−が、日本で最初にカフエーを名乗つた此の店は、実を云ふと、カフエーと名乗るべく内容が、あまりにそれまでの「ビヤホール」や「安洋食屋」と変らなかつた・・・・・女給も居ず、ボーイは白の上衣を着て、今でも忘れられない大きなトンカツを食はせた、そしてお客は重に一高の生徒達だつたのだ・・・・・・だから、此の我が「本郷カフエー」は、その「名」に於ては「日本最初のカフエー」の名誉を担ひ得る訳だけれど−全く私は、何故に、そんなとき、そんなところの、そんな店に、突如として「カフエー」といふ字が冠せられたかを、今も、なほ不思議に思ふものであるが、推量するに、今日では恐らく代が変つてしまつてゐるであらう(私は一度もそんなことを耳にしたことはないのだが、なんとなくそんな気がするのだ)が、その店を始めた初代の主人公が、案外の数奇者かなにかで(と、私はその店のことを思ふ度毎に、そんな空想を走らせるのであるが)その人がフランスへ行つたか、行つた人に聞いたかして、ふとしたシヤレ気から、あんな名をつけたのではないかと思ふのだ−その私の見るところでは、「日本に於ける最初のカフエー」たるの「実」に適する名誉を担ふ店は、実にその後二三年にして銀座の裏通り日吉町に出来た「カフエー・プランタン」であることを信ずるものである。


この人は、明治の半ば過ぎに生まれ、東大卒ではあるが、一高出身ではない。著名人を期待した人もいるかもしれない。だが、『日本近代文学大事典』には立項されているが、少なくとも私には未知の人だった。本郷カフエーがプランタンの二、三年前に出来たというのは、彼の記憶違いであろう。おそらくは、彼が初めて本郷カフエーに入った時のことを、店が出来たと勘違いしているのであろう。この人物の名前は内緒にしておこう。


カフェーとしての実態はともかく、日本で最初にカフェーを名乗った店は、プランタンではなく、「本郷カフエー」であったことはもはや確実である。カフェー発祥の地の名誉は、銀座ではなく本郷に帰すべきである。


追記:本郷の「文京ふるさと歴史館」は好きなミュージアムの一つ。ネタに困ったら、「本郷カフエー物語展」とか開催してね。


追記:わしは(わしも?)「三十路ニスト」かも!?