今、ある女優に興味がある。
彼女の名は無名だが、松竹の女優霧島黎子。
『日本映画人名事典 女優篇』(キネマ旬報社、1995年8月)によれば、
本名:島田愛子、1912年8月11日生まれ
虎の門の東京女学院を中退して家事に従事していたが、1929年6月に松竹蒲田へ入社。「浪花小唄」(1929年)に端役でデビュー。「ダンスガールの悲哀」(1929年)などに助演。均整のとれた肢体で脚線美女優として注目されるが、伸び悩み、「チャッカリしてるわね」(1931年)でようやく共演者に起用。「熊の八ツ切事件」(1932年)にも共演したが、役に恵まれず、脇役に終わった。彼女の入社と同時に妹・千世子(1916年2月8日生まれ)も文華中学校に在学のかたわら松竹蒲田へ入り、霧島明子を芸名に「浪花小唄」「ダンスガールの悲哀」などに姉と一緒に出たが、ほどなく退社した。
さて、島田と聞くと誰を思い浮かべるだろうか?
永井荷風の『断腸亭日乗』昭和5年12月22日の条によれば、
「島田翰の遺女愛子松竹社の女優となり霧島黎子と呼べる由手紙に絵葉書を添へ面会を求む」「(島田翰)は博士篁村先生の男なればこの女優は其孫女なり、儒者の家より活動の女優を出すも蓋し時勢の然らしむる所なるべし、予は老年子孫なきを喜ばずんばあらず」とある。愛子は、書誌学者(にして書盗学者)島田翰の娘であり、トンデモバスター島田春雄にとっては異母妹に当たる。
高野静子『続 蘇峰とその時代ー小伝鬼才の書誌学者島田翰』の島田翰の略年譜によれば、1912年8月1日と、1916年5月に女子が生まれているが、生年月日の食い違いはあるものの、これらに当たるのであろう。