神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

ロシア文学者片上伸の海外逃亡?


片上伸。年譜によると、明治17年2月生まれ、大正9年4月早稲田大学文学部ロシア文学科創設とともに主任教授、大正12年12月文学部長に選出される。大正13年6月教授の職を退き、再度ロシアに遊ぶとされている。昭和3年3月没。また、小谷野敦谷崎潤一郎詳細年譜によれば、大正10年4月、谷崎精二は、片上の推薦で早大文学部非常勤講師に就任したという。


ところで、この訪ロに関して、坪内逍遥の日記*1にトンデモないことが書かれていた。もっとも、この事件は、わりと知られているみたい。私は知らなんだよ。

大正13年6月7日 午前 日高*2来 文科に重大事件起れり 後刻金子*3、吉江*4と共に再訪すべし云々、其中に金来 同人も事情不案内、何事にやと語り合へるうち 日高外二講師(原と馬場)来り はじめて片上対牛島某の同性愛問題につきて 露科一同退職諌告の事を知る、中食後一旦引上げ去る(略)
夜日高、吉江再び来、片上と会見の結果


6月8日 金子来 片山の件
日高来、日高は片上の件、日高をして金子の後を追はしめ(略)
九時自動車にて吉江、石野と共也、日高おくれて到り、日、吉、金子(電話にて呼ぶ)と片上の件 いろいろ協議す 


6月9日 金子来、共に片上を訪ひ いろいろ説諭し 露国行を思ひとゝまらしむ(略)
片上妻来


6月10日 片上妻又来り、夫の過去に就きて語り、いろいろ愁訴


6月13日 日高、吉江来、露科学生、卒業生、講師の会へ日高が臨みし時の状況報告、それより二人を片上の[ママ]赴かしむ


6月15日 日高(午前にも午後にも来)片上の件
(略)片上の妻来


6月16日 片上伸来、露国へ後藤新平に伴って行きたし、家族は紀州へ云々、大体に於て之を是認し 改めて種々反省を促して帰し、(略)食後仂車にて再び大学行、会館にて高田、田中に会し、後藤の婿鶴見雄介[ママ]へ田中に口をきゝて貰ふことにし 大体の承諾を得、(略)


6月18日 早朝 日高来 片上の件
片上来
その以前田中穂積 鶴見雄[ママ]輔を訪問せし結果を報じ来る、七月一日出発の件は未確定のよし 


6月11日 片上妻来


6月19日 午前 片上妻 六才の男児と共に来


6月20日 日高来 片上の件意外にて歎息す
(略)
金子、吉江、日高来会、新聞社の質問に対する態度に就いて協議、同時に片上の対大学態度に関して相談し、明朝予が同人を訪問すべきを約す


6月21日 片上を訪ひ 大学との絶縁の誤解を弁じ 後藤と同伴の件を止めることゝし、尚出発の日取の事を大学幹部にはからんと約し、午後改めて仂車にて大隈会館行、田中理事にあひ、一切の諒解を得、(中略)又片上に立寄り、むしろ二三日中に岡山まで赴くがよからんと勧む


6月22日 午後金子、吉江、日高来、片上出発是耶非の件


6月24日 片上 今夕出発ロシヤ行、いとま乞に来


6月25日 片上妻礼に来


何ともコメントしようがないが、真相は如何に?


*上機嫌な「も男」先生とか、ズショカン好きの「ドク男」氏は、無事イヴを乗り切れたかしら・・・

*1:『未刊・坪内逍遥資料集』第3巻、財団法人逍遥協会、2001年11月

*2:日高只一と思われる。

*3:片上の前任の文学部長金子馬治と思われる。

*4:吉江喬松(孤雁)と思われる。