神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

国木田独歩

独歩の通夜の翌日も一騒ぎ

独歩の通夜の日における茅ヶ崎館での田山花袋と小栗風葉・真山青果との騒ぎについては、黒岩比佐子『編集者国木田独歩の時代』(角川選書)317頁に書かれているところである。実は、その翌日にも騒ぎがあったことが、岩野泡鳴の日記に出てくる。 大正2年4月1…

国木田独歩が命を縮めてつくった近事画報の発行部数

黒岩さんの『古書の森 逍遙』で書籍コード078は『近事画報』第83号(近事画報社、明治39年3月1日)、080は同誌第89号(同社、39年5月15日)。以前(昨年11月21日)言及したが、この頃の同誌の発行部数が、『原敬関係文書第八巻』の「雑誌一覧表 明治三十九年…

黒岩比佐子『古書の森 逍遙』(工作舎)への補足(その2)

黒岩さんの『古書の森 逍遙』への補足、というか蛇足(その2)*1。030『獅子王』(青木嵩山堂、明治35年10月)、055『海賊王』(隆文館、明治38年4月)の著者稲岡奴之助の経歴については、黒岩さんも少し書いておられるが、『日本近代文学大事典』から引用…

科学知識普及協会の枝元長夫

だんだん枝元枝風(本名・長夫)の専門家になってきた。そんなものになってどうするのという気もするが、またまた枝元情報を発見した。戦後、日本宇宙旅行協会の理事長となった原田三夫の自伝『思い出の七十年』に出てくる。 たまたま鎌倉から東京に通う仲間…

枝元枝風の生年

枝元枝風(枝元長夫)の生年が判明。坪内逍遥の日記によると、 昭和6年8月7日 枝元よりかすてら 五十五歳にて停職 但し改めて嘱託云々 『新聞年鑑』を見ると、枝元は昭和5年11月現在で東京日日新聞の社員だが、嘱託という表示はなく、6年11月現在で嘱託と表…

毎日電報記者管野須賀子の同僚

以前紹介した原敬関係文書第八巻には「新聞紙通信社一覧表(明治40年11月調査 警視庁)」という資料も収録されている。これで、毎日電報新聞を見てみよう。『明治新聞雑誌関係者略伝』に立項されている人物だけ拾うと、社長兼主筆高木利太、「之レニ亞クモノ…

催眠術師 国木田独歩の時代

独歩にオカルティックな要素はないのかと思っていたら、中桐確太郎の「早稲田時代の獨歩」(『趣味』明治41年8月号)に次のような記述があった。 催眠術の研究などもやつた。突然に大きな声をして「其処は開かない!」といふと、弟の収二君が幾ら開けようと…

独歩周辺の人々の日々(その2)

またまた『編集者 国木田独歩の時代』でおなじみとなった人達を見つけた。 大正6年4月5日 窪田空穂君の妻君が死んだそうだ。 4月6日 午後窪田君の妻君のお葬式があった。同君は去年子供に死なれ、いままた妻君に死なれた。田山花袋、徳田秋声、水野葉舟、大[…

 独歩周辺の人々の日々

黒岩比佐子『編集者 国木田独歩の時代』に出てくる独歩周辺の人物のうち、例えば窪田空穂、吉江孤雁、前田晁などは既にこのブログでも登場していたみたいだが、私にとっては単なる記号でしかなかった。しかし、同書を読んだ後では、少し身近な人間として感じ…

寺田寅彦と編集者独歩の時代

1年の最後は、独歩にしようか。 寺田寅彦の日記*1によると、 明治38年8月26日 電車にて神田中西屋迄行く 帰りに新古文林求め帰りて読む。 9月4日 宅へ婦人画報送る。 9月26日 独歩集求め帰りて読む 10月 3日 婦人画報求め帰る。 10月 4日 夜夏目先生訪ふ 新…

独歩ゆかりの亀屋とは

『木山捷平全集』第2巻所収の木山の日記に独歩ネタがあった。 昭和15年4月25日 溝口行。一時高円寺集合。石浜(中略)、平島、村上、小田、新宿駅で倉橋と熊平、合流して「よみうり遊園地」で下車。独歩にゆかりある亀屋でのみ、七時帰途につく。 独歩にゆか…

志賀直哉と国木田独歩

志賀直哉の日記*1には独歩に関する面白い記述が幾つかある。 明治37年5月24日 小山内君の話によれば文学者も随分腐敗してる 第一姉崎さん初め、紅葉でも鏡花でも水蔭でも風葉、国木田、−生田でも 驚いた 「小山内」は小山内薫で、国木田の「腐敗」とは黒岩さ…

坪内逍遥の国木田独歩への思い

黒岩比佐子『編集者 国木田独歩の時代』(角川選書)によると、坪内逍遥は明治41年6月の独歩の葬儀に会葬している。 そこで、逍遥の日記を見てみると、 明治42年7月13日 独歩の「欺かざるの記」前後二巻、過日より読始め読了(荒庭の参考) 故ありて荷風のア…

独歩と落葉と福次郎

『日本古書通信』に連載された柴田宵曲の日記(「柴田宵曲翁日録抄」)は、ぜひ索引付きで刊行してほしいもの。 黒岩さんが『編集者 国木田独歩の時代』で引用している独歩の友人岡落葉も出てくる*1。 昭和28年8月4日 午後、岡落葉氏を訪ふ。独歩の話いろい…

独歩にドポドポ

黒岩さんの『編集者 国木田独歩の時代』(角川選書)刊行記念として独歩関係のネタを。 明治41年7月30日 読売新聞掲載の文豪国木田独歩逝去(原注・・・一九〇九[ママ]年六月二十三日)の記事を見る。痛ましきかな独歩の死。吾は独歩の文を愛したりき。独歩…

日本写真史に一石を投じる発見か

田辺聖子の祖父・父は写真館を営んでいたことは、NHKドラマ「芋たこなんきん」でよく知られることとなった。 田辺の「ハガとアイスクリン」(『新潮』平成9年1月号、『田辺聖子全集』第24巻)によると、 私のウチの写真館は祖父が明治三十年代後半に…

船内で独歩全集を読む大川周明

大正11年7月、神戸から満洲旅行に旅立つ大川周明。船内で読書をしている。 大正11年7月23日 舩の文庫から独歩全集を借りて読む。独歩は弱い。併し清い。清くして弱きが故に、常に悲しい。読み耽るうちに、此頃になき静かな物哀しい心地になり知識欲やら意…

天羽英二と国木田独歩

独歩の三十五回忌については、2月3日に紹介したけれど、出席していない招待者がいた。 天羽英二の日記によると、 昭和17年7月12日 来 婦人画報社国木田独歩35回忌案内 7月16日 朝9時 婦人画報東京社ヨリ国木田独歩ノ三十五回忌案内欠席 天羽と独歩って関…

宮本常一が書きたかった小説

「常一略年譜」(『父母の記/自伝抄』、未来社、2002年9月)によると、 一八歳 大正十三年 (略) しかし本だけはたえずよんだ。(略)本は主として中学教科書だったが、矢野のおばあさんの息子が家へ少々本をおいて行ったので(略)それをかりてよんだ。 『…

武侠社に関するメモ

1 『秋田雨雀日記』第2巻から 昭和5年7月3日 (“犯罪科学”十五枚。(略)) 昭和5年7月5日 (犯罪科学“ソヴェートの性問題”芝区南佐久間町二ノ一八伊藤隆文。(略)) 昭和5年7月10日 「犯罪科学」のために“ソヴェートに於ける恋愛の社会化”について十五枚…

国木田独歩と秋田雨雀

正直言ってこの二人の関係はよくわからない。劇作家秋田雨雀の年譜上は、「国木田独歩」は二度登場するが、いずれも独歩の死後である。該当部分の『秋田雨雀日記』第1巻、第3巻を引用すると、 大正8年5月10日 六時から独歩会へ出席。五十四、五名。晩餐中、…

彫刻家国木田哲二(佐土哲二)

国木田独歩のもう一人の遺族を野上彌生子の日記*1に発見した。 昭和8年2月14日 四時うちを出る。中川一政の誕生日のおよばれ。(略) 客は幸田さん、鹿島土浦夫妻、野島夫人、中川の弟妹、千田夫妻、それに今日パリから帰つたと云ふ一寸岩倉さんににたかほの…

『秋田雨雀日記』の凄さ(その4)

『秋田雨雀日記』第1巻には、国木田独歩の遺族も登場! 大正5年5月28日 午後「婦人の友」社の運動会へゆく。(略)いったときは四季行列の四つばかり前であった。白粉をつけた例の中流以上の社会の女がおおぜいテントの中にいた。女学校へゆきたての年配ぐ…

山本鼎が渡航中に出会った人々

山本鼎の「渡航日記」*1には、どこかで聞いたことのあるような人名がずらりと登場する。 明治45年7月16日 此処で米国産の手品師の一行や、臭いきたない支那人共がのり込むだので、阪田、沢木*2の両君は甲板のスモーキング・ルームに逃け出した。予も床…