神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

谷崎潤一郎と小泉信三


『青年小泉信三の日記』(慶應義塾大学出版会、2001年11月)には、谷崎潤一郎自身は出てこないが、名前は登場する。


明治44年10月4日 「三田文学」の「飆風」(谷崎潤一郎)を読んだ。大変面白いものだと思った。単なる性欲描写よりもよほど詩に近いところがあるように思った。作者の天賦が期せずして然らしめたのかもしれない。


明治44年10月31日 「三田文学」が出た。(中略)永井さんは「谷崎潤一郎氏の作品」と「紅茶の後」とを書かれた。
谷崎氏の作品は辞を極めて激賞しておられる。「刺青」が最大の傑作だと云われた。


明治45年2月3日 永井荷風先生の「妾宅」(「ザムボア」)及び谷崎潤一郎の「悪魔」(「中央公論」)を読む。両方ともに面白かった。


谷崎は、小山内薫森鴎外永井荷風らとともにカフェープランタンの創立期の維持会員だったという*1ので、プランタンで小泉に出会っていてもよさそうだが、残念ながら日記には出てこない。



追記:「関西版ぴあ」の本日発売の12月14日号で坪内祐三氏連載の「まぼろしの大阪」は、岩野泡鳴「池田日記」に言及していた(この追記は、もっぱら小谷野敦氏向け)。

*1:林哲夫『喫茶店の時代』(編集工房ノア、2002年2月)参照