原節子とスメラ学塾について、もう一つ文献があった。
本地陽彦『原節子「永遠の処女」伝説』(愛育社、2006年6月)によると、
熊谷久虎は『指導物語』以降、映画を離れ、この年[昭和17年]の夏頃までには国粋主義思想団体である「スメラ学塾」を作り、教祖に近い存在だったという。そして、7月8日、スメラ学塾は京橋区銀座五丁目三番地のスメラ学塾事務所内に劇団太陽座を結成、原節子も俳優部に所属する。但し、このスメラ学塾という団体がどのような「国粋主義」的な活動をしていたものか不明であり、また太陽座という劇団の具体的活動の記録も見出せなかった。
また、同書によると、劇団の責任者は東宝の契約監督である外山凡平という人物で、原は俳優部の女子部のトップに、熊谷は賛助座員のトップに名がある。スメラ学塾に劇団まで存在していたとは驚きである。
『文化資源学』第4号の森田朋子「スメラ学塾をめぐる知識人達の軌跡─太平洋戦争期における思想統制と極右思想団体─」は3月発行。私のブログに「スメラ学塾」が登場したのは4月。本地氏の著書のあとがきは本年5月付け。脱稿時点で、ググっても、「スメラ学塾」ではまだ、ヒットしなかったか。
*千葉大学(?)の森田朋子さん、まさか私のブログを見てるのかしら(汗