神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

スタール博士

GHQ言語将校ハーバート・パッシンの見たお札博士スタール

岩波講座『帝国日本の学知』の第6巻『地域研究としてのアジア』中の中生勝美論文(「日本占領期の社会調査と人類学の再編」)によると、GHQの民間情報教育局「世論および社会調査部」にアメリカから人類学者が派遣され、ハーバート・パッシンという人物が…

スタール博士の不幸(その3)

日本を愛し、度々来日したスタール博士だが、その訪日回数の多さに疑惑の目を向けられたようである。 三田村鳶魚の日記(『三田村鳶魚日記』第25巻)大正6年12月3日の条には、 スタール帰国、米探の噂高くなりたる為めといふ。 とある。また、小島烏水「山の…

スタール博士の不幸(その2)

大正8年12月18日付け會津八一の今井安太郎(山形県米沢市)宛絵葉書(『會津八一全集』第八所収)によると、 拝啓 スタールが御地へ行きしことは、先日此問題にて淡嶋寒月翁と会見したる際、翁よりも聞き居り候。スタールは割合に著名なる男なれども、割合に…

スタール博士の不幸

「daily-sumus」の8月14日分で、引用していただいたので、再びお札博士スタールネタをアップ。過去の記事については、この画面の一番上のスペースでこのブログ内検索(「スタール」と入れて「日記」をクリック)ができますので、それをご利用ください。 三村…

お札博士スタールのトンデモ山脈(その9)

スタール博士も狩野亨吉も生涯独身であったが、「エルメスたんより古本!」と思っていたかどうか。スタールにはシアトルに妹がいて、その子供が戦後来日したようである。 「書物展望」(昭和25年8月)中の「木挽町たより」に、 故お札博士スタールの甥といふ…

お札博士スタールのトンデモ山脈(その8)

山口昌男『内田魯庵山脈』によれば、スタール博士は「昭和八年七月、七十六歳の歳で、第十六回の来日を行い、満州と朝鮮に旅して八月十一日東京帰着とともに発病し、三日後の十四日に他界」。博士は、だれぞ達みたいにコショテン依存症だったみたいでこの最…

お札博士スタールのトンデモ山脈(その7)

「スタール博士」でググると、「古書の森日記」を始め、130件もヒットするが、その中にスタール博士と大本教について言及しているものがあった。大本教の解剖については、故中村古峡先生におまかせするとして、別の教団とスタール博士の接触について述べ…

お札博士スタールのトンデモ山脈(その6)

酒井勝軍や前田惇とともに、昭和4年に竹内文献を拝観した岩田大中の『人類之祖国 太古日本史』(昭和6年2月、平成2年10月復刻)にも、スタール博士の名前は登場する。 本文はお札博士として名高いシカゴ大学名誉教授フレデリツク・スタール氏が昭和5年10月19…

お札博士スタールのトンデモ山脈(その5)

スタール博士と小谷部の交流は、スタールの晩年まで続いたようで、『日本及日本国民之起原 普及版』(昭和8年1月)には、「有名なるスタール博士の書翰の訳文」が掲載されている。 固より日本民族の起りは希伯来のローストトライブの一であるといふことは古…

お札博士スタールのトンデモ山脈(その4)

前田惇の登場した、『お札博士の観た東海道』(大正5年3月)には小谷部全一郎も顔を出す。大正4年11月2日から22日までのこの東海道行脚で、旅立ってすぐに、大井町の小谷部邸へ寄っている。明治43年以来だという松村介石とともに小谷部邸前で3人が並ぶ写…

お札博士スタールのトンデモ山脈(その3)

昭和5年12月7日付けの東京日日新聞朝刊には、おどろおどろしい見出しが躍る。 「謎の人物跳躍する怪奇な天津教庁」「面妖な神代文字と古器 明道会事件から飛火・警視庁活動」。 本文に眼をやると、 「市外松沢村赤堤五三六皇国神代文字仮研究所、大日本藩札…

お札博士スタールのトンデモ山脈(その2)

柳田國男は、スタールの第2回訪日(ただし、山口昌男『内田魯庵山脈』によれば、大正2年は第3回訪日)について、 今度は日本で又藩札の蒐集をしたいと言つて居る。妙なことに眼が留まつたものである。 と記している*1。 スタールのこの藩札の蒐集に影響を与…

お札博士スタールのトンデモ山脈

「情報官鈴木庫三とクラブシュメールの謎」の最終回(実は、まだ終了していないのだよ)もアップしなければいけないのだが、「古書の森日記」(黒岩比佐子さん)で、「お札行脚」が紹介され、スタールのネタを仕込んであったのを思い出したので、そちらを先…