神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

谷崎潤一郎と坪内逍遥の出会い


谷崎潤一郎の『青春物語』には、坪内逍遥との出会いについて、文藝協会が北濱の帝国座へ「マグダ」を持って来ていたので、ある晩中井浩水に連れられ見物に行き初めて坪内にあったとある。『坪内逍遥事典』によれば、大阪帝国座での「マグダ」の上演は明治45年6月14日から23日まで。この時期の坪内の日記*1を見てみると、


六月十四日
二木千年来訪 加藤信正来 ペンリントンへ返書
初日六分弱 新聞記者評判皆よろし


六月十五日
林千歳父来訪 上山より近代劇協会主意書送り来る


六月十六日
京都行 関屋、島村同行 三条万屋へ休息 一時より青年会館ニテ講演聴衆一千二百余名 此夜十二時過汽車乗込


六月十七日
午後一時過新橋着 せき子出迎

6月16日の晩以降は、谷崎と坪内が出会える機会はなかったので、二人の出会いは、明治45年6月14日か15日だと推定できる。もっとも、坪内の日記に記載がないのは、残念。ちなみに、岩野泡鳴と正宗得三郎は、6月17日にマグダを見ている。


坪内に会った谷崎が、「弟がお世話になっています」と言っていれば、坪内邸でのバーナード・ショーの講義は行われなかったか、『刺青』は最初から隠されていたはずだが、谷崎は当然ながら弟のことなど頭に浮かびもしなかったのであろう(12月13日参照)。


追記:新聞広告によると、講談社から本田透喪男(モダン)の哲学史』なる本が出たみたい。
喪男(モダン)とは
 モテない男ではなく、
 モテることを拒否する
 男のことである。」
とも新聞に出ている。わしは、モテることを拒否した覚えはないから、喪男(モダン)ではないことになる(が、モテない事実は変わらないけど・・・)。


追記:どこぞのドク男は関西に潜伏中みたいだが、ま、まさか、イブは大阪か?
電車男』の文庫版が出てた。

*1:坪内逍遥研究資料』第15集、新樹社、1997年8月