神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

カフェー発祥の地としての本郷(その1)


「日本において最初にカフェーを名乗った店が登場したのは、明治44年の銀座プランタンである」という定説に反して、それ以前に「本郷カフエー」が存在したことについては、「寺田寅彦と謎の本郷カフエー」で紹介したところである。
寺田の日記だけでは、確証に欠けるものがあったが、もう一人証言者があったほかに、先行文献も発見したので報告しておこう。書物奉行氏からは、毛利宮彦早稲田大学図書館「諭旨免職もどき」事件の発見を褒められたわがブログだが、この発見(実は再発見だった)も大発見ではないだろうか。


『木下杢太郎日記』第1巻(岩波書店、1979年11月)によると、


明治37年3月5日 去年の追懐の楽しき日は今日なりき、
夕小此木を表町に訪ひ共に出でゝ紅梅町に石津を擁し本郷カッフェエに入り、ひそかに我兄の婚礼を祝ひ、またわが志望結[ママ]定の誓をなさしむとせしは去年の今日か、


明治42年9月20日 本郷カフエにカフェをのむ


木下は、明治36年第一高等学校第三部に入学。彼の記憶によれば、同年3月には、本郷カフエーは存在したことになる*1


追記:中公新書安田敏朗『「国語」の近代史 帝国日本と国語学者たち』を書店で見かけたけど、おもしろそうだね。

*1:寺田の日記によれば、それ以前の明治35年9月には存在している。