神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

宮本常一

宮本常一と志智嘉九郎

「書物蔵」で見かけた名前を宮本常一の日記*1で発見! 昭和25年10月24日 神戸までゆき、図書館に志智嘉九郎氏をとう。郡家出身の人。古文書を拝借するため・・・。快く貸して下さることになる。 書物奉行氏によると、志智は昭和23年1月から神戸市立図書館長…

宮本常一も寄り道していた小川書店

小川書店には、宮本常一も寄ったことがあったようだ。 宮本の日記によると、 昭和23年1月15日 市電市川橋で下車して小川書店へ寄る。柳田先生の『地名の研究』が出ているので買う。ほしい本もあるけれど高くて手が出ぬ。

宮本常一が愛した南田辺の「ベルグ書房」

宮本常一お気に入りの古本屋があったようだ。 宮本の日記によると、 昭和20年1月6日 大阪へかへり南田辺のベルク[ママ]へよつて見るとロシヤの小説集などなつかしいものが出てゐる。この本屋にはよいものがよく出る。思ひきつて小説類など沢山買ふ。 昭和20…

宮本常一も読んでた『魔の宴』

『宮本常一 写真・日記集成』別巻によると、昭和25年6月30日の条の後に、次のようなメモがあるとのこと。 (略)太宰治、田中英光の作品に心をひかれ、『チャタレイ夫人』を肯定する気持。木村艸太の『魔の宴』*1には最も心をうたれた。自らの中にある弱さに…

宮本常一が書きたかった小説

「常一略年譜」(『父母の記/自伝抄』、未来社、2002年9月)によると、 一八歳 大正十三年 (略) しかし本だけはたえずよんだ。(略)本は主として中学教科書だったが、矢野のおばあさんの息子が家へ少々本をおいて行ったので(略)それをかりてよんだ。 『…

宮本常一と三角寛

宮本常一の日記*1によると、 昭和41年1月31日 アチックへゆく。かえりに渋谷で『木佐木日記』『岡本太郎の眼』などを買う。『サンカ物語』も。これは『サンカの社会』よりもおもしろい。私はこれほど1つのものを追いかけたことがない。 とある。『サン…

美人好きで悪いか!?

「タヌキ」になって人間が丸くなったかと思っていたら、「狸寝入り」だったか? 新年早々相変わらず攻撃的で元気な小谷野敦先生。朝日新聞社のPR誌『一冊の本』1月号で新連載「美人好きは罪悪か?」を始めた(初回のタイトルは、「小説のヒロインはたいてい…

宮本常一と谷崎潤一郎その他

宮本常一の日記に、谷崎潤一郎本人は出てこないが、関係する話が出ていた。 昭和21年7月11日 朝七時四十分の汽車で大阪へ向ふ。(略)車中谷崎の『吉野葛』をよむ。いいものだと思ふ。 昭和23年1月7日 昨日今日よんだ本。『橡ノ木の話』『女性改造』1月、『…

旅する巨人宮本常一が寄り道した聖戦技術協会(その2)

青木冨美子『731』によれば、亀井貫一郎は昭和20年10月から昭和22年5月まで、外務省の推薦により、細菌戦調査に関与。また、戦後、聖戦技術協会を改称した常民生活科学技術協会に引き続き理事長となっている。宮本常一は、この時期の亀井と接触を続けてい…

旅する巨人宮本常一が寄り道した聖戦技術協会

佐野眞一氏は『旅する巨人』(文藝春秋、平成8年11月)で、昭和20年7月に軍から宮本常一に対して、敗戦後の農村復興をにらんだアプローチがあり、宮本が三田の渋沢敬三に相談して、賛同を得たというエピソードについて記している。 ところが、昨年刊行された…

 『田中秀央 近代西洋学の黎明』(菅原憲二・飯塚一幸・西山伸編)から

ところで佐野眞一『旅する巨人−宮本常一と渋沢敬三』(中略)、 『渋沢家三代』(中略)が明らかにしたところによれば、渋沢家は 当時、嫡男篤二が妻敦子を家に置いて芸者玉蝶と同居、周囲の度重 なる説得にも応じなかったために、1912年1月28日、栄…