神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

柳田國男

中山太郎の出てくる小説

島本久恵『花と松柏』に中山太郎が出てきた。 そしてなお納得の行くように、日露戦後の不況からの成行きで、河井*1、窪田(空穂)、中山(丙子)その他を手始めに羽仁編集長も罷免、間もなく新聞も消えて行ったあらましを言い、 「ところで僕は詩、窪田は歌…

 オタどんの懸案事項

森氏がコメントで懸案事項について書いていたのを読んで、わしも自分の懸案事項を思い出した。 鶴見太郎氏の解説付きで岡茂雄『本屋風情』(中公文庫)が最近復刊されたけど、このタイトルの由来である事件が起きた柳田國男を慰労する会の開催年月日が、わし…

 朝鮮総督府図書館長荻山秀雄

柳田國男の『炭焼日記』に出てくる萩山四郎(はぎやましろう)が、朝鮮総督府図書館長荻山秀雄(おぎやまひでお)であろうことは、書物奉行氏が一昨年4月16日に解明しているところである。 この荻山の名前を見かけたので紹介。「日本速記協会」の理事に「萩…

坪内祐三の大叔父井上泰二まごまごする

三村竹清の日記には、新宿の骨董屋の柳田栄太郎と民俗学者の柳田國男の両方が出てくるので紛らわしい。 今回は國男の方の話。 大正7年11月19日 朝 貴族院官舎柳田へ行く 福*1来春一中卒業故 一高之何れを志願すへきかを定むる為也 柳田君 法学士故尋たるに …

「桃太郎の誕生」の誕生

大槻憲二によると、柳田國男の「桃太郎の誕生」は大槻が纏(まと)めたものであるという。 大槻の「民俗文化の精神分析」(『精神分析』第30巻第4号、昭和47年10月)*1によると、 (略)私もまだ若かった頃に柳田先生に師事したこともあったが、私が民俗学に…

 柳田國男の帰国を歓迎した凄い人達

大正10年12月に一旦ジュネーブから帰国した柳田國男の歓迎会が翌年の1月に開催されている。 一つは年譜に記載のある1月25日開催のエスぺランチストによる帰朝歓迎会である。 もう一つは、『柳田國男全集』第26巻に収録された『同人』第63号(大正11年3月15日…

柳田國男とGHQのコンタクト

敗戦後の柳田國男とGHQの接触については、大塚英志氏や中生勝美氏が書いている。 このうち中生氏の論文については、一昨年8月2日、12月8日にも言及した。この論文では、柳田とハーバート・パッシンの接触について、パッシンの著書*1に基づき、「四六年八…

柳田國男と宮武外骨

骨は骨でも、凡骨ではなく外骨さんの方の話。従来、柳田國男は宮武外骨に対して否定的評価をしていたとされている。しかし、三村竹清の日記に面白い記述がある。 大正7年6月6日 夜 三田村鳶魚君来 柳田さんハ手置をよくして上けないといけない人故 二三度上…

柳田國男の書簡流出事件の真相

柳田國男が、27歳(明治34年に当たる)の初めての信州旅行時に「姉上様」に送った書簡が流出していた事件については、一昨年10月29日に話題にした。岩本由輝先生は『柳田國男』で、この書簡について、「「姉上様」は、義姉にあたる矢田部順か、木越貞、その…

岸田國士大政翼賛会文化部長を激励する会

秋田雨雀日記によると、 昭和15年12月12日 ファッショの動員。 午前十時ごろ上野精養軒の大政翼賛促進の会へ行く。岸田、菅井、上泉(秀信)の三君の部長、副部長激励の意味の会らしかった。(略)食事後久米正雄の司会で柳田国男さんが開会の辞をのべ、各方…

人名事典としての『内田魯庵山脈』

山口昌男『内田魯庵山脈』は人名事典として使えると言ったのは書物奉行氏だったか、その友人だったか。10月22日に言及した有坂与太郎が同書に出ていた。 集古会の昭和十年の名簿『千里相識』に柳田国男、市島春城、橋本進吉、西村真次らとともに、有坂与太郎…

読書人協会と建設社

スルメみたいに読めば読むほど味が出てきて、発見がある柳田國男の『炭焼日記』。こんな記述もあった。 昭和20年12月26日 有坂与太郎氏始めて来る、読書人協会の発起人になつてくれといふこと、建設社阪上真一郎といふ人の為といふ。 書物奉行氏や森洋介氏の…

西脇順三郎と柳田國男

柳田國男の『炭焼日記』中の西脇順三郎。 昭和19年2月20日 西脇順三郎氏来、疎開の家をさがしにと也。 4月23日 西脇順三郎君来、慶応研究所の計画を話せらるゝ。 5月5日 慶応義塾の研究所へ方言集類を寄贈することになり、けふ西脇順三郎氏小使二人をつれて…

昔話の神様関敬吾

戦前、東京帝国大学附属図書館の司書官だった山田珠樹の回想*1によると、 あの当時の東大図書館は和漢書係、洋書係と二つの大きな系統に仕事が截然と分かれてゐて、二名の司書官が各々その一つを主裁して、仕事をする場所も建物の両翼に分れ、互に相犯すこと…

松本フミと柳田國男・堀一郎

松本フミなる人について、デイヴィッド・グッドマン、宮澤正典『ユダヤ人陰謀説 日本の中の反ユダヤと親ユダヤ』(講談社、1999年4月)によると、 松本フミは富士山明光院に世界宗教研究所をつくった。そして一九五八年に刊行された松本の著書『富士戒壇院建…

柳田國男と仲木貞一の接触

大塚英志氏は、雑誌『怪』での連載などで、藤澤親雄、増田正雄ら偽史運動の関係者と柳田國男の接触を紹介している。もっとも、藤澤が柳田と接触した時点では、まだ藤澤はトンデモ色(て、どんな色だろう)に染まっていなかったが、そういうのも柳田と偽史運…

武侠社に関するメモ

1 『秋田雨雀日記』第2巻から 昭和5年7月3日 (“犯罪科学”十五枚。(略)) 昭和5年7月5日 (犯罪科学“ソヴェートの性問題”芝区南佐久間町二ノ一八伊藤隆文。(略)) 昭和5年7月10日 「犯罪科学」のために“ソヴェートに於ける恋愛の社会化”について十五枚…

坪内祐三の母と秋田雨雀

劇作家秋田雨雀の日記*1を読んでいたら、思わぬ拾い物があった。 昭和24年6月16日 坪内という女の童話作家*2(井上通泰博士孫)が訪ねて来られた。 昭和24年9月17日 朝、坪内泰子君が蛤をもってきてくれた。船橋のおじさんの家にいる。 井上通泰(柳田國男の…

柳田國男と谷崎潤一郎のファースト・コンタクト(その2)

明治42年11月27日に開演された自由劇場の公演について、谷崎は『青春物語』で次のように記している。 自由劇場が第一回の旗挙げとしてイプセンの「ジヨン・ガブリエル・ボルクマン」を試演した時に有楽座の舞台で挨拶する小山内君を、観客席にゐて眺めたこと…

柳田國男と谷崎潤一郎のファースト・コンタクト

柳田の告別式に真紅のバラを贈った谷崎(12月15日参照)。二人の最初の出会いはいつ、どのような形であったか? 吉井勇*1によれば、 その後谷崎君の記憶として私の頭に残つてゐるのは、明治四十二年の十一月に有楽座で催された自由劇場の帰りのことである。…

『秋田雨雀日記』の凄さ

未來社の『秋田雨雀日記』については、今月号の『日本古書通信』でも紹介されているけれど、多彩な人物が登場してくるので、非常に役に立つ。 カフェネタや谷崎潤一郎ネタがあることは既に紹介したけれど、秋田はエスペランチストでもあったので当時の著名な…

谷崎潤一郎が柳田國男に贈った真紅のバラ

岡茂雄『本屋風情』を読んだ多くの人は柳田國男が嫌いになったのではないだろうか。私もその一人である。もっとも、自分も歳をとってきた今では、人間にはいろんな側面があるから、しょうがないか、と許容しているけどね。 それはさておき、かの分厚い『柳田…

早く出してね、ミネルヴァ日本評伝選『石田幹之助』

芥川龍之介をして東洋史研究をあきらめさせた男、元東洋文庫主事石田幹之助については8月27日、28日にも紹介したけれど、今時、関心があるのは、わし(と谷沢永一先生も?)だけかと思っていた。 ところが、ミネルヴァ日本評伝選の刊行予定リストに、岡本さ…

続・柳田國男の幻の妻 −木越安綱夫人貞−

10月10日言及した柳田國男の幻の妻に関する手紙について、森洋介氏からコメントをいただき、手紙の謎が多分解決した。「多分」というのは、若干疑問がなくもないから。 過去の日記のコメント欄なので、奇特な人しか見ていないと思われるので、ここに掲げると…

麻布の古本屋小川書店と柳田國男

柳田國男の『炭焼日記』には古本屋さんも登場する。 昭和20年7月18日 古川橋の古本屋小川勝蔵来、色々の本をもたせてかへす、よき商人と見ゆ。 念のため、反町茂雄『一古書肆の思い出』を見ると、第2巻に麻布の小川書店の小川勝蔵として、出ていた。 追記:…

柳田國男の幻の妻 −木越安綱夫人貞−

三村竹清の日記(『演劇研究』掲載)については、山口昌男『内田魯庵山脈』で言及されているところである。その三村の日記には、榊原芳野についての詳細な記述があるほか、柳田國男についての瞠目すべき記述*1がある。 大正7年9月21日 此間柳田にて買ひし 木…

大いにやせた国文学者鈴木棠三君

柳田國男の『炭焼日記』には、多彩な人物が登場して楽しめる。 横山重『書物捜索』で「序に代えて」を書いている、鈴木棠三も登場する。 昭和20年11月16日 鈴木棠三君大いにやせて来る、今諏訪の富士見の山に在り、書物疎開の手伝、内閣文庫の本の中に自分の…

新聞学の小野秀雄に関する噂

戦後、東大新聞研究所所長、日本新聞学会会長を務めた小野秀雄。 ベストセラー『旋風二十年』の著者、森正蔵の日記*1に彼に関する噂が記されている。 昭和21年9月6日 「東京日日」のための新聞用紙配給が否決されたことについては、まだいろいろ折衝が続いて…

戦時下の日独図書交流?

国際文化振興会について、岡村敬二氏は『遺された蔵書』で次のように記している。 国際文化振興会とは知的協力国際委員会および「対支文化事務局」を源流として昭和九年四月に設立された財団で、中国だけでなくアジアや欧米各国に対して広く文化事業をうけ持…

慶應義塾図書館のトンデモ図書館員井上芳郎と柳田國男

慶應義塾図書館が、戦前うっかり採用してしまったトンデモ図書館員井上芳郎(7月8日参照)については、書物奉行氏により「スメル学図書館員」と名づけられたが、な、なんと柳田國男の『炭焼日記』に登場していた。 昭和19年5月13日 大東亜[会]館にて学術協会…