慶應義塾図書館が、戦前うっかり採用してしまったトンデモ図書館員井上芳郎(7月8日参照)については、書物奉行氏により「スメル学図書館員」と名づけられたが、な、なんと柳田國男の『炭焼日記』に登場していた。
昭和19年5月13日 大東亜[会]館にて学術協会、若月保治・井上芳郎・清水三男(代)の三君を招き表彰式、三君話あり。新村君も出席、十月ぶりの上京、今度は停車場ホテルに泊まるといふ。
金田一・市河の二君と共にかへる、八時半に帰宅。
同月20日 るす中に井上芳郎君来。土よう日は居ると言つた為に失望してかへるといふ。
同年6月3日 午後井上芳郎君来、長く話して行く。エルマンの「埃及誌」、民俗語彙(禁、住、葬)贈る。
昭和20年3月2日 井上芳郎君、先月二十二日急逝のよし、娘より報知あり、びつくりする。
井上の著書『シュメル・バビロン社会史』は、昭和18年7月、ダイヤモンド社発行。この著書で表彰を受けたのだろうか。同書の著者紹介によると、
いのうへよしを
明治21年生
大正8年バビロン学会会員に推薦され「バビロン・埃及学科」の研究を委嘱さる。
昭和3年バビロン法「ハムラビ大王法典」を全訳
昭和9年西方古代アジア社会史に対比研究のため「支那原始社会形態」を脱稿(14年刊)同年外務省文化事業部の援助により中支北支満洲に研究旅行をなす。
昭和14年財団法人啓明会より西方亜細亜古代社会史研究の援助を受くるに決定し16年12月同上の研究成果たる「シュメル・バビロン社会史」を脱稿報告を了す。
図書館員としては、トンデモだったかもしれないが、バビロン学会では活躍していたみたいだね。
ところで、『慶應義塾図書館史』(昭和47年4月)で、井上をボロクソに言った同書の著者伊東弥之助は昭和10年8月から図書館勤務。井上とは同僚だったわけだから、その勤務ぶりを良く知った上であのような記述となったのだろうね。個別の図書館史であそこまで書くなんておもしろいけど、やりすぎの嫌いもあるね。
柳田國男の『炭焼日記』には、中田邦造、大西伍一、石田幹之助、大藤時彦、荻山秀雄(「萩山四郎」として登場)らも登場しているから、仮性図書館本だすね!