昭和19年2月20日 西脇順三郎氏来、疎開の家をさがしにと也。
4月23日 西脇順三郎君来、慶応研究所の計画を話せらるゝ。
5月5日 慶応義塾の研究所へ方言集類を寄贈することになり、けふ西脇順三郎氏小使二人をつれて取りに来る。大よそ二百種あり、小さいものばかりなれば、本箱の整理にはならず。
5月18日 午後西脇順三郎・佐藤勝熊二君来、又若干の本を渡す、全国昔話記録など。(後略)
西脇は当時、慶應義塾大学文学部教授、慶應義塾外国語学校初代校長。この年の4月に郷里小千谷市に妻子を疎開させ、東京に留まったが、12月に妻子の疎開先へ赴いている。
佐藤勝熊とは、後の佐藤朔らしい。
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橋口侯之介『続和本入門 江戸の本屋と本づくり』を見る。正編は読んだはずだが、なーんも覚えていない(汗
『週刊文春』の「著者は語る」(『日本売春史』)に猫猫先生が登場してた。
串八百万遍店は、京大生に彼女ができたら連れて行く店だったらしいね。なぜ、村さ来ではだめだったのかすら。