神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

須田国太郎が表紙絵を描いた京都三中の同人誌『時計台』:橋秀文論文への補足


 京都大学広報誌『紅萠』42号(京都大学総務部広報課、令和4年9月)が出てきた。表紙は京大のシンボルである時計台(大正14年竣工)とクスノキ。そう言えば、表紙に時計台が描かれた『時計台』という同人誌を持っていたことを思いだして、積ん読本から掘り出してきた。昭和21年11月、時計台同人が発行、72頁。旧Twitterの記録によると、令和元年8月の下鴨納涼古本まつりでシルヴァン書房から30%引きの700円で購入。目次を挙げておく。

 知っている執筆者は1人もいない。京都発行の雑誌の創刊号で、戦後間もない発行であることや、表紙絵が須田国太郎の描く時計台で京大と関係があるのかなと思って買ったのだろう。
 『時計台』第1輯の同人は、安藤一郎、一海知義、植田新也、高宮守、辻宏、新田博衛、松居豊、水越春雄、御牧啓、森克巳、横田二郎で、編輯者は森、発行者は横田である。同人の肩書きは、不明である。しかし、巻頭言に「中等学生の文藝雑誌」とあることや、同人以外の寄稿者の肩書きの多くが「京三中生徒」なので、同人も京都三中の生徒なのだろう。
 京都三中の無名の生徒達が、須田に表紙絵を依頼できたとは大したものである。須田は、京都一中卒で京都三中のOBではない。次号予告には吉井勇の短歌が挙がっていて、色々著名人とコネがあったようだ*1
 今月21日で終了した西宮市大谷記念美術館「須田国太郎の芸術ー三つのまなざし」の図録(きょうと視覚文化振興財団、令和5年10月)中の略年譜によれば、須田は大正5年京都帝国大学文科大学哲学科(美学美術史専攻)で、戦前は同大学文学部の講師(昭和7年~9年、11年~?)を務めたことがあった。『時計台』が発行された昭和21年の3月からは同大学工学部講師となっていた。表紙絵は京大時計台とは似てないが、須田は馴染みの京大時計台のことを考えながら、描いたのかもしれない。
 ところで、図録には目黒区美術館館長橋秀文氏の「須田国太郎と雑誌『人間』創刊号の表紙絵のことなど」が載っている。須田について「実は若い頃から書籍の装幀や挿画も手掛けていた」とし、戦後昭和21年1月に川端康成らの鎌倉文庫が創刊した『人間』の表紙絵や昭和23年発行の鈴木信太郎ステファヌ・マラルメ詩集考』の装幀を紹介している。橋氏は昭和21年11月発行の『時計台』に気付いているだろうか。
 なお、ググッたら既に林哲夫氏が令和3年11月にブログで本誌を話題にしているのを発見。一部の同人の経歴も紹介されている。私の方が先に入手していたと思われるが、うかうかしてたら先を越されてしまった(^_^;)→「時計台 第一輯 : daily-sumus2
参考:「図書研究会々員だった?須田国太郎 - 神保町系オタオタ日記
 

*1:須田については、岡部三郎『須田国太郎:資料研究』(京都市美術館、昭和54年3月)に日記に基づき作成された詳細な年譜があるが、本誌への言及は無かった。