神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

柳田國男とGHQのコンタクト


敗戦後の柳田國男とGHQの接触については、大塚英志氏や中生勝美氏が書いている。
このうち中生氏の論文については、一昨年8月2日12月8日にも言及した。この論文では、柳田とハーバート・パッシン接触について、パッシンの著書*1に基づき、「四六年八月に、パッシンは東京・京都・仙台で講演を行ない、この講演を通じて澁澤敬三柳田国男と面識を持った」としている。


しかし、別の証言もあるので、補足しておこう。礒貝勇「柳田先生と一米人」(定本柳田國男集月報4、昭和43年9月)によると、終戦間もない頃、成城の柳田邸に二人のGHQ将校らしい人が訪ねてきたという。一人がパッシンで、もう一人は二世の軍人だったという。そして、パッシンについて、

彼は、自分は米国シカゴ大学社会人類学教室で、とくに日本の研究をつづけてきた一学徒であること。今回、日本へ進駐して来たが、第一番にこうして先生にお会い出来たことはこの上ないよろこびであり、光栄であること、先生にお会いすることは、私が日本へ来た大きな目的のひとつであったということなどを先ず語った。そして、ここに本国で作ってきた日本の幾人かの民俗学者のカードを持ってきているが、これらの一人一人の消息について教示を得たいといって、喜多野清一、関敬吾大藤時彦、倉田一郎、桜田勝徳氏などの名前を示した。(略)/略/その後、聞いたところによると、パシン氏は、GHQのCIE社会調査部のヘッドとして、日本の多くの新進気鋭の社会民俗学者たちをスタッフに、戦後のわが国の社会調査や世論調査を進めるのに、大きな役割をはたしたそうである。


と記している。

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堀越英美『萌える日本文学』 (幻冬舎)なる本が出てた。猫猫先生の後ろ盾、じゃなかった、推薦文付き。

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ほげほげとしてたら、誰ぞが三宮に来てたらし!


森洋介 業績」で検索して来た人がいるみたい。ナンダロウ・・・

*1:『米陸軍日本語学校』(TBSブリタニカ、1981年9月)