坪内祐三
『週刊ポスト』で、「エッチ漫画の世界」と坪内祐三氏の新連載「眼は行動するの美術批評」を読む。坪内氏がそこで書いている東絛書店については、「東條書店とバラック装飾社」参照。この連載で、氏は『週刊ポスト』を後ろから読ませる男になるかしら。 - 仏…
坪内祐三氏の『探訪記者松崎天民』(筑摩書房)をようやく入手。補足したい事が出てくるだろうが、多忙でそうもいかないので、天民に関する過去の記事をいくつか紹介するに留める。 211頁 『犯罪哀話』(佐藤出版部、大正5年)について、「するとある人から…
坪内祐三氏が平成17年4月2日から18年4月2日まで毎日新聞(東京版)で連載した「日記から 50人、50の「その時」」。取り上げられたのは、 夏目漱石、三島由紀夫、青野季吉、志賀直哉、野上弥生子、森田草平、高野悦子、柳田国男、中島健蔵、山田風太郎、…
『ちくま』11月号の坪内祐三「[探訪記者松崎天民・第三部]8・『東京の女』をめぐる謎」には、次のように書かれている。 十数年前に私が作った松崎天民著作目録には、最初に『新聞記者修行』(明治四十三年有楽社)が載っていて、続いて『東京の女』(明治四…
『美術手帖』3月号の坪内祐三と森村泰昌の対談「「ユレ」と「ブレ」後ろ向きで前へ進む」に、 森村 今日は「うえほんまちハイハイタウン」を一緒に歩いていただきました。(略)学生時代、それこそ『美術手帖』のバックナンバーを探していた古書店も駐車場…
明治36年3月から7月まで大阪の天王寺で第五回内国勧業博覧会が開催された。ところが、博覧会事務官の農商務省会計課長松田四郎が博覧会工事請負人から収賄するという事件が発生。宮武外骨の『滑稽新聞』は、織田一など他の博覧会事務官にも疑いの目を向け攻…
手塚律蔵(のち瀬脇と名乗る)の次女好子は、坪内祐三の父方の曾祖母の母に当たるが、一時期西周の養女となっている。西夫人升子の日記*1に登場する。 慶応2年3月25日 今日、佐倉より兄様よし子同道御出に付、三日御泊の事。西へは誰がゆくかと皆あつめてた…
坪内祐三の母方の曽祖父は井上通泰だが、父方にも立派な人物が多くいる。 坪内は、『極私的東京名所案内』で、手塚律蔵という洋学者が先祖の一人として、律蔵が佐倉藩の祐筆の娘と結婚し、二人の間にできた次女が、父方の祖母*1の母と書いている。これを詳し…
三村竹清の日記には、新宿の骨董屋の柳田栄太郎と民俗学者の柳田國男の両方が出てくるので紛らわしい。 今回は國男の方の話。 大正7年11月19日 朝 貴族院官舎柳田へ行く 福*1来春一中卒業故 一高之何れを志願すへきかを定むる為也 柳田君 法学士故尋たるに …
「退屈男と本と街」11月21分を見るのが遅れて小谷野敦氏のラジオ出演は聞き逃したが、「たけくまメモ」を見る限り、ご機嫌はよかったようだ。 12月号が出ていないから、まだ最新号と言ってよい「彷書月刊」11月号については、「書物蔵」で言及されていたけれ…
昭和21年、靖国神社アミューズメントパーク化計画があったことについては、坪内祐三氏の名著『靖国』に記されているところである。浅草オペラやレビューの影の仕掛け人内山惣十郎なんて人も関与していたらしい。 同書には書かれていないが、『小林一三日記(…
坪内祐三氏が、毎日新聞(東京版)で毎日曜日に連載している、「日記から 50人、50の「その時」」。 既に次の人物の日記が紹介されている。 夏目漱石 三島由紀夫 青野季吉 志賀直哉 野上弥生子 森田草平 高野悦子 柳田国男 中島健蔵 山田風太郎 江藤淳 …
古書通、博識家の一つの典型であった彼は、知ること多く、出すこと少なく、自らはあまり筆を取ろうとしなかった。文章を書くなどといったヤボな作業を嫌った。 (中略) 「『探書五十年』編集委員会後記」と題された、この本のあとがきに、こうある。 (前略…
「肥田せんせいのなにわ学展」 INAX ギャラリー1(京橋)で 2月18日まで。 坪内祐三氏もナンダロウ氏も大阪で観覧済みのためか、 東京会場はあまり宣伝されていないか? (わすは大阪、名古屋でも見ていない。東京でみるか・・・エヘへ) 「論座」2月号…